Real/Retro(メモ)

長﨑励朗「苦労した人こそホンモノの音楽を創れる?――フォークと文化の価値転換」(in 『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学*1、pp.45-61)


所謂「四畳半フォーク」*2を巡ってのパッセージを引用する。


現在、「フォーク」という言葉から一般に想起されるのはかぐや姫さだまさし吉田拓郎井上陽水といった70年代を中心に活躍したミュージシャンたちだろう。彼らはフォークとみなされてはいるが、場合によっては「ニューミュージック」というカテゴリーに入れられることもある。ニューミュージックとは、自分で作った曲を自分で歌うミュージシャンの楽曲を指す言葉だ。作詞・作曲者と歌手が分業制になっている歌謡曲と差別化されることで、当時の若者に人気を博した。彼らの多くは後に楽曲提供などもしながら、流行歌の世界で近年にいたるまで息の長い活躍をしている。だからフォークと言ったときに、彼らのイメージがまず浮かぶのは当然のことであるといえよう。
しかし、その前史とも言える60年代後半のフォークを聴いてみると、世界は全く違う。プロテスト・ソングと呼ばれるストレートな社会批判を含んだ楽曲やユーモアの塊のようなコミックソングなど、おおよそその後の流行歌の系譜に位置づけられないような作品が多い。(p.48)
先ず突っ込んでおきたいのは「ニューミュージック」という言葉について。これはシンガー・ソングライターと混同している。「 ニューミュージック」の多くが自作自演であったことは事実だけれど、私の記憶によれば、1970年代の後半くらいには、「ニューミュージック」というのは、従来の歌謡曲(演歌やポップス)とは区別されたフォークやロック系の音楽を総称する言葉として使われていた。さらに、1980年代に入ると、現在ならシティ・ポップ*3と呼ばれるであろう音楽、ユーミン系の音楽を専ら指すようになった。また、吉田拓郎のキャリアは「その前史とも言える60年代後半のフォーク」にも重なっていて、或る意味で2つの時期の蝶番的な存在でもあるといえる。
話を戻すと、長﨑氏はここで佐藤八寿子さんという方の論を援用する。

こうした断絶を佐藤八寿子は「リアルフォーク」*4と「レトロフォーク」という名称で整理している*5。リアルな革命を夢見た60年代のフォークに対して、70年代フォークは果たされなかった革命を悼むレトロスペクティヴ(過去をかえりみる)なフォークであるというのだ。全ての楽曲がそうでないにしろ、この見立てはある程度正しい。バンバンの「いちご白書をもう一度」*6に登場する以下のような歌詞はその典型であるといえよう。

就職が決まって 髪を切ってきたとき
もう若くないさと 君に言い訳したね
70年代フォークの一部が貧乏くさく、未練たらしい「四畳半フォーク」と揶揄されることになったのも、このあからさまな過去への憧憬ゆえだといえる。佐藤はこうした変化を大学進学率の上昇に伴う大学生の地位低下と関連づけて論じる。

七〇年代の教育拡大期は、「憧れの大学生」に「自分もなりたい」「わが子をならせてやりたい」という強烈な欲望の時代でもあった。すでに内実は「レトロ」だったフォーク・ソングも、こうした大衆の高学歴への欲望によってさらに消費されたのはなかろうか。(中略)*7しかし、欲望の対象であるところの「学生」のオーラは、その欲望が次第に実現されていくより早く、急速にその輝きを失いつつあった。(中略)学生文化としての七〇年代フォーク・ソングの需要は、まさにすでに消え去った「学歴の輝き」へのレクイエムであると同時に、新たな主役。大衆による疑似貴族文化だったのではないか。
つまり、大学が大衆化したことで輝きを失った大学生という身分のありし日を疑似的に追体験することで人びとは欲望を満たしていたというのである。こうした解釈は、1970年代頃を境にしたフォークの変化をリスナーの高等教育に対する憧れと関連づけて論じている点で重要である。(pp.48-49)
ここで、次のような反問がある;

しかしその一方で、そうした「疑似貴族文化」が「貧乏くさく」あらねばならなかった理由については触れていない。例えば、「神田川」の主人公はなぜ「三畳一間の小さな下宿」で恋人と過ごさねばならなかったのか。憧れという意味で言うならば、もっとリッチで小ぎれいなキャンパスライフを楽しむ大学生がいてもいいではないか。
実際、そうした例がフォーク以前には存在した。1964年に発表され、ロングセラーとなったペギー葉山の「学生時代」*8はその代表例だろう。そこに描かれている「学生」は「蔦のからまるチャペルで祈りをささげ」るという夢のような「学生時代」を送っているのだ。ペギー葉山自身が青山学院女子高等部卒だから女学校文化のようにも解釈できるが、この楽曲はもともと「大学時代」というタイトルだったからというから、歌詞自体は当時の大学イメージを反映していたと見てよい。1964年の「学生時代」と1973年の「神田川」。このわずか10年間で人々が求める「学生」のイメージに一体なにがあったのだろうか。(後略)(pp.49-50)
答えは半分出ている気がする。つまり、大学の「大衆化」の前か後かということ。また、1960年代末の大学闘争の後か前か。まあ、「学生時代」で描かれているキャンパスは普通の大学ではなく、基督教系(ミッション・スクール)だったということも考慮しなければならないだろうけど。
ところで、佐藤さんが意味するのとは別の仕方で、「70年代フォーク」が「レトロスペクティヴ」だと思ったことはある。例えば、「神田川」は「あなたはもう忘れたかしら」というフレーズで始まる。つまり、ここで歌われる内容というのは、既に「忘れ」てしまった可能性がある程遠い過去のことだということになっている。語り手は、その時点で「あなた」(或いは「あなた」以外の男)と専業主婦をしているのかどうかは知らないけれど、とにかく大人になってしまった立場から自らの若き日の恋愛や同棲を回想しているということになる。こうした回顧的な指向性というのは、「リアルフォーク」、またその一つ前のカレッジ・フォークにはあまり見られなかったのでは?