「信仰」と「栄養」

カズオ・イシグロ『クララとお日さま』(2021) を読む」https://kj-books-and-music.hatenablog.com/entry/2024/03/20/130043


私は何時も7~8冊の本を同時並行的に読んでいて、週に何冊かは読了している。このblogでもその報告をしようしようとは思っているのだけど、なかなかできなくて、(blogで紹介していない)数十冊、或いは3桁の読了した本が溜まっているのだった。さらに、積読状態の本がその数倍、数十倍ある。
上掲のエントリーで古寺多見氏が取り上げているカズオ・イシグロ『クララとお日さま』*1は(たしか)昨年の大晦日に読了している。この小説について、このblogで何か書こうと思いつつも、今の今まで何も書いていない。
古寺多見氏が『クララとお日さま』で注目した点と、私が印象的だと思った部分は違う。氏は語り手である「クララ」の「太陽神信仰」に注目している。
物語の冒頭;


はじめてお店に並んだとき、ローザとわたしに与えられた場所は店央の雑誌台側でした。そこからだとショーウィンドーの半分以上見えます。お店の外もよく見えました。急ぎ足で行き交うお勤めの人とか、タクシーとか、ジョギングの人、観光客、物乞いの人とその犬、そしてRPOビルも、下のほうだけですが見えました。だんだんお店に慣れてくると、もっと前まで行っていいというお許しが店長さんから出て、ショーウィンドーのすぐ後ろまで行けるようになりました。ここではじめて、RPOビルがどれほど高いのかがわかりましたし、たまたま時期が合えば、お日さまがこちら側のビルの上からRPOビル側へ進んでいくところも見られました。
そんなふうにお日さまに出会えた運のいい日は、顔を前に突き出し、できるだけたくさんの栄養をいただきました。ローザがいれば、誘って一緒に。でも、そうやっていられるのはほんの一、二分です。すぐにもとの位置に戻らねばなりません。来たばかりのころは店先にいることが多くて、お日さまに会えないまま体がだんだん弱ってしまうのではないかと心配したものです。当時、レックスという男子AFがわたしたちの並びにいて、そんな心配はいらないと話してくれました。お日さまはどこにでも光を届かせられる、そして床を指差し、「ほら、あそこにお日さまの光模様があるだろ。心配ならあれにさわれば、また元気になれるよ」と。(pp.11-12)
「お日さま」が下さるのは生きていくための「栄養」であり、実際は「 お日さまはどこにでも光を届かせられる」ので、明るい場所であれば、何時でも何処でも「栄養」をもらえるのに、直接見なければ「栄養」は届かず「体がだんだん弱ってしまうのではないか」という不安がある。
たしかに、「お日さま」はたんなる「栄養」源としてではなく、「クララ」にとって、憧れや尊敬の対象であり、さらには「クララ」を罰したり赦したりする〈神〉のような存在としても認識されている。

納屋の内部が暗くなってきました。これはとてもやさしい暗さです。無数の断片はやがて消え、納屋内部の断片化が解消されていきます。お日さまはすでにここを通り過ぎていきました。わたしは折りたたみ椅子から立ち上がり、はじめてマクベインさんの納屋の裏まで歩いてみました。ここに立つと、納屋の背後に野原がさらに広がっているのが見えます。でも、ある程度行ったところに立木の列があって、これが一種の柵の役割をしているようです。その立木の柵の向こうにお日さまが沈んでいきます。くたびれて、もう強烈な輝きはありません。空が夜に変わり、お星さまが見えてきました。休息所に向かうお日さまが、わたしにやさしくほほ笑みかけてくれているのがわかります。
わたしはお日さまへの感謝と敬意を胸に、最後の輝きが地面の下に消えていくまで裏口に立ちつづけました。それからマクベインさんの納屋の暗い内面を歩き、来たときの足跡を逆にたどるようにして、納屋を立ち去りました。(pp.264-265)

リックが去り、わたしはいま独りです。お日さまが屋根より低くおりてきて、最後の光で納屋の横腹を貫くのを待っています。街で犯したわたしの過ちに、お日さまはお怒りかもしれません。でも……と思ったとき、はっとしました。これまで思いもしなかったことに気づきました。お日さまに特別の助けを頼めるのは、これが最後になるかもしれません。この機会をいかせなかったら、ジョジーは……、心に恐怖が湧きあがりました。でも、お日さまはやさしい方だから……と、わたしはその思いにすがり、いまはためらわずマクベインさんの納屋に向かいました。(p.425)
さて、『クララとお日さま』で最も戦慄的なのは最後の最後。短い第六部だと思う。「お日さま」のご加護によって「ジョジー」の生命が恢復するというクライマックスが終わった後の後日談。ここで、メタ・ナラティヴ的な仕掛けが開示されるとともに、また新たな謎が喚起されて、物語はフェイド・アウトしていく。