承前*1
『北國新聞』の記事;
そもそも「墓」という建造物は地震に対してヴァルネラブルなものだ。能登半島地震では、これ以外にも、有名人や無名人の墓が倒されて、死者たちの眠りが妨げられたということは容易に想像できる。例えば、
〈1.1大震災〉西村賢太さんの墓倒壊 七尾・西光寺 藤澤清造の墓も被害
1/10(水) 8:02配信
地震の揺れで、七尾市小島町の浄土宗西光寺にある芥川賞作家西村賢太さん*2の墓が倒壊した。2022年2月に亡くなった西村さんが「没後弟子」と名乗るほど私淑した作家藤澤清造(七尾出身)の墓にも被害があった。今年は三回忌法要が予定されていたが、関係者は横倒しになった墓石に「今年は無理かもしれない」と嘆いた。
西村さんは02年に藤澤の墓の隣に生前墓を建てた。昨年は藤澤をしのぶ「清造忌」と合同で一周忌が営まれ、編集者や友人、ファンらがしのんだ。
西光寺の高僧英淳住職(71)は1日、大津波警報を受けて寺近くの高台に避難。寺に戻った時に西村さんの墓が倒壊していることに気づいた。墓石の隣にある地蔵堂が崩れて覆いかぶさり、供えられていた酒瓶は落ちて割れていた。高僧住職によると、寺の本堂にも損壊があり、通常の寺の行事も当面難しい状況だ。
西村さんの墓には毎年約300人のファンが訪れるといい、高僧住職は「ファンの方のためにも、早く直したい」と話した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9573a46b47ca0301de5f9f4939a0c003163e440c
〈1・1大震災〉富山藩主の墓倒壊 長岡御廟の8代前田利謙
1/9(火) 8:01配信
●灯籠153基も壊れ
能登半島地震により、歴代富山藩主を祭る富山市八ケ山の「長岡御廟(ごびょう)」にある8代藩主前田利謙(としのり)の墓が倒壊したことが8日までに分かった。御廟内では藩主の家臣が奉納した灯籠153基も壊れていた。維持管理に当たる長岡御廟保存会は、前田家の遺徳をしのぶ貴重な歴史遺産として継承するため、修復を図る。
長岡御廟には、初代藩主前田利次から12代利聲(としかた)までの墓が並び、土台の上に巨大な墓がそびえている。墓は2区画に分かれて配置されており、西群に利次ら8人、北群に2代正甫(まさとし)ら4人が祭られている。
被害の確認された利謙の墓は西群に位置し、土を持った土台の上に石を積み上げ、高さは3メートル程度だった。御廟にある曹洞宗真国寺の永田円了住職(74)が地震翌日の2日、被害状況を確認した際、墓が崩れて土台の下まで落ちているのを確認した。
永田住職は「こんなことは初めてで、倒壊しているのを見たときはびっくりした」と話す。ほかの藩主の墓に被害はなかったという。
保存会の理事を務める永田住職は「ただ石を戻しただけでは、再び地震で崩れるかもしれない。何らかの対応が必要だ」と語った。
御廟では、家臣が奉納した灯籠にも被害がみられた。灯籠は250~300年ほど前に作られた約500基があり、このうち153基が倒れていた。
★長岡御廟 富山藩歴代藩主の廟所(びょうしょ)。1674(延宝2)年に初代藩主前田利次が死去すると、2代正甫は藩主を弔うため、利次が築城を目指した百塚山の周辺を墓地とすることにした。翌年、現在まで続く長岡御廟が完成。利次から12代利聲(としかた)までの墓が並び、富山藩の歴史を映し出している。藩主の墓は西群と北群に分かれて配置されており、西群の裏には子女や側室の墓が立ち並んでいる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/657f47a61602dd0ee42b31b58d1b108aa4687180