暴走する「帰納」

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関口正司『J・S・ミル 自由を探究した思想家』から。
論理的推論には「演繹」と「帰納」がある。ミルによれば、世間一般で「帰納」として流通している推論法は「誤解」であり、「正確には帰納と呼ぶべきではない」(p.69)。これは、


前提 金髪の人間を何人か観察したところ、几帳面という共通点があった。
結論 だから、一般的に金髪の人間には几帳面な傾向があると言える。


前提は経験的知識である。たしかに事例を集めれば結論の説得力は高まるだろうが、すべての事例を網羅することはできない。網羅できたとしても、結論を覆す例が新たに出てくる可能性は否定できない。要するに、絶対的で無条件の真理には到達できない。とはいえ、一定の範囲で実用性のある経験則となる場合もある。しかし、そのために、限度を超えて濫用されがちである。(pp.69-70)

たしかに、レイシズム等の差別で使用されるステレオタイプは、このなんちゃって帰納法を「濫用」(或いは悪用)したものだろう。


▽▲は✖✖だ。


といった大きな主語*1を伴った断言。✖✖はその少数のサンプルにおいては真であるのに、▽▲という一般項が主語になった途端、偽になってしまう。


他方、帰納的推論の正しい進め方は、ミルによれば次のようになる。


①複数の判別可能な要素(それぞれ独自の要素として他と区別できる要素)A・B・Cが並存している事例があり、この事例でa・b・cという判別可能な結果が並列して生じているとする。
②複数の判別可能な要素A・D・Cが並存している事例があり、この事例でa・d・cという判別可能な結果が並列して生じているとする。
③以上の二つの観察された事例から、どちらにも共通して見られるAがaの原因だと推測できる。
④もし、それぞれのケースで、人為的な実験、あるいは観察された経験的事実によって、Aを除去したB・CやD・Cではaが生じないことが確認できれば、Aがaの原因だという判断の確実性は決定的なものになる。(pp.80-81)

*1:▽▲には、例えば日本人、中国人、ユダヤ人、異性愛者、トランスジェンダー等々の或る程度以上のヴォリュームを有するカテゴリーがその都度代入される。