愛される「寄生虫」

元村有希子「博士が愛した寄生虫」『毎日新聞』2022年11月12日


ビル・ゲイツが「風変わりで際限なく魅力的」と称賛した「目黒寄生虫館*1について。


私が東京で暮らし始めた25年前、最初に尋ねた博物館がここだった。怖いもの見たさでやってきたのに、帰る時には親近感がわいていた。若者、カップル、高齢者、外国人旅行者など、来館者の顔ぶれは多様だ。ゲイツ氏もこの夏来日した折、多忙な日程を縫って立ち寄った。
所蔵標本6万点弱、世界有数のコレクションを誇るこの博物館は、亀谷了博士(1909~2002年)が私財を投じて設立した。
町医者として生計を立てながら構想を温め、診療所の向かいの木造民家に「目黒寄生蟲館」の看板を掲げたのは1953年、展示品わずか数点での出発だった。

人類と寄生虫のつきあいは長い。古代エジプトのミイラからは住血吸虫が見つかっている。日本でも、平安時代に編まれた日本最古の医学書「医心方」に、9種類の寄生虫とその駆除方法が配される。
本来、帰省した相手に害を及ぼさない穏やかな生き物だが、別の動物を最終宿主とする寄生虫が誤って人体に迷い込むと、やっかいだ。アフリカなどの途上国では、3大感染症マラリアに加え、河川盲目症、リンパ系フィラリア症など、寄生虫由来の病気が今も人々の健康を脅かしている。
寄生虫の生態を広く知ってもらうことで、日本の衛生環境を向上させたいと、博士は考えていた。
患者から駆除した寄生虫に加え、製薬業者から動物の内臓を譲り受けて解剖し、標本を増やしていった。「とにかく、全ての情熱、金銭を寄生虫館のために捧げていた」と自伝で振り返っている。研究員が常駐して成果を発信し、「教育や啓発で稼いではならない」と、入館料は無料。今も方針は変わらない。

実のところ、博士は個性あふれる寄生虫の世界に魅せられていた。サナダムシは体の節ごとに生殖器を持ち、1日に数センチも成長する。フタゴムシは2匹の幼虫が合体し1個の成虫のように生きる。解かれないままの多くの謎に人生を懸けた。
博士の孫にあたる亀谷誓一事務長(42)は「猛烈に情熱的な人」と振り返る。
例えば5歳の春に贈られたのは、おもちゃでも絵本でもなく、小さな畑だった。「こどもはたけのおしらせ」と題した手紙にはこう書かれている。「(胤は)じぶんでまくことです。……どうかすこしでもいのちをそだてるたのしみをあじわってください めぐろのおぢいちゃん」
実は「目黒寄生虫館」にはまだ行ったことがないのだった。
さて、小川洋子の小説は「博士が」ではなく『博士の愛した数式*2