反−読書感想文

小谷野敦氏のところ*1で知る。


http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/dokusyokansoubun.html

曰く、


 小中高生に読書感想文など書かせることは、至難なのだ。うん、まだ高校生なら何とかなるかもしれないが、小学生や中学生に書かせるのは、本当に酷だと思う。少数の例外をのぞいて、書けるはずがない。

 「国語の授業で教えたことを実践する場だ」と反論する人がいるかもしれない。なるほど、国語では、教材になった文章にはどんな主張がされているか、登場人物の気持ちはそのときどんなだったかを読解させる訓練を積む。
 しかし、それは、「何が書いてあるか」をつかむ作業でしかない。
 まず、何が書かれているかをつかむことさえ、学校でじっくりと時間をかけねば習得できない。そのために、山のようなテストさえする。そこに一山も二山もあるのだ。
 ところが、読書感想文は、まず「何が書かれているか」をつかんだだけではダメなのだ。
 書かれていることを理解したうえで「それを自分がどう思ったか」を対象化せねばならない。これが一苦労である。前にも書いたとおり、あなたは自分が読んだ小説や漫画の「何が面白かったか」を聞かれて答えられるだろうか。これはぼくも、対面で聞かれると困ってしまうことが多い。あげくに、「とにかく……すごくいいんだよ!」「すっごいリアルなんだ」くらいしか言えずに終わる。ぼくは口頭の感想で、「読みたいな」とか「見たいな」という言葉を聞いたのは、つれあいと前の職場にいたある人以外には、ほとんど思い当たらない。
 それくらい、対象化させることは難しい作業である。

それから、

アクセス解析をみると、きのう(2006年9月3日)ぼくのサイトに、「博士の愛した数式」「読書感想文」「宿題」「夏休みの宿題」「パクリ自由」というキーワード検索によって来た人間は、実に650人に達した。

 そう。ぼくは、小川洋子博士の愛した数式』の感想文*2を載せているのだが、これを「パクリ自由の読書感想文」だとしているのだ。

 Googleでは「読書感想文 博士の愛した数式」で検索のトップ、Yahoo!では10位でひっかかる(06年9月4日現在)。こりゃあ来るはずだ。

 さらに、中高生とおぼしき人から「先生に検索されるとイヤなので、削除して」という要求も来るし、「コンクールに出すといわれたらどう対処すればいいか」などという“悩み相談”まで来た。

「先生に検索されるとイヤなので、削除して」とは、おいおい。
この頁で援用されている齋藤孝が小学生向きに書いた(語った?)本、なかなかいいことをいっているようだ。例えば、

 齋藤孝は前掲書の該当章の冒頭で、〈本というのは、ほんとうは、読んだら人に話したくなるものなんだよ。つまり、読んでみて、だれかに話したくならないような本で感想文を書くな!と言いたい。ここ重要。かなり重要。/おもしろくない本を読んで、感想文を無理やり書くのは、はなっから無理だということを知っておこう〉(齋藤p.85)とのべているが、学校の読書感想文には、子どもたちが「ワクワク」しそうな本、漫画はもちろん、ライトノベルさえ外していることが多い。そして、「課題図書」「推薦図書」などという「ワク」を押しつけられた日にはもういけない。こうしたやり方は、齋藤が説く〈おもしろくない本を読んで、感想文を無理やり書く〉行為になってしまうだろう。なるほど思わぬ感動を得る生徒もいるだろうが、読書嫌いになる生徒のほうが、たぶんずっと多いだろう。

 自分は漫画をよく読むから、ミステリーをよく読むから、ブログの題材は無限にある! と始めることはよくあることである。
 しかし、実際に始めてみると、「飽きる」という以前に、書くことに詰まってしまう場合が多い。「すごくこれがスキです!」「超オススメの作家さんです!」という文章しか出てこないと、一週間も立てば自分でも苦痛になってくるからである。
 そんなとき、齋藤の「読書感想文必勝法」は実は意外と役立つかもしれない。彼はどこが面白かったかを3色ボールペンで色分けすることの他に、「本の文章を写そう!」という「必勝法」、すなわち引用を奨励する。

〈引用というのは、本の文章をそのまま写すこと。これは、メチャクチャ字数が進みますよ。/「ええぇっ! 写すなんて、ずるいじゃん!」と思ったかな? /いいや、ずるくない、ずるくない。なんでかというと、一冊の長い話から、どこをおもしろいと思ったか、そこを見つけて切り取ってくること自体が、大切な能力だからだよ。/大事なところ、おもしろいところをうまく切り取るだけで、その人は、それを読んだという証明になるんだね。力の証明だよ。読む力があるという証明。この力のことを、“編集能力”といいます。/これは、プロの物書きもやっているやり方です。プロは、じつは引用で食ってます(笑)〉(齋藤p.95〜96)

小谷野さんだが、「インターネットは、新聞は脅かしているが、テレビは脅かしていないらしい」といいつつ曰く、


 ウェブだネットだブログだと騒いでいる人がいて、ブログを書く人もミクシィの会員も増えてはいるが、これはいずれ頭打ちになるだろう。所詮はインテリおよび亜インテリのものでしかなく、大衆はそのうち飽きる。

インテリは、自分が選んだ映画を観る、ということに利便を感じるが、大衆には選ぶことなど面倒なのである。ただ流れている番組を観ているほうが楽なのである。第一、友達との会話のネタだって、その最大の供給源はテレビだろう。

 後世の歴史家は、21世紀初頭、インターネットはテレビの影響力を超えることはなかった、と書くかもしれない。

どうだろうか。