孫引き

立川健二「新しいフィロロジーへの序説――Prolegomene a une nouvelle philologie」(in 『愛の言語学*1、pp.173-193)


孫引きを2つ。
野田俊作『ボクたちのアドラー心理学入門2』;


この前、あるお母さんが僕のところへ来たんだけど、(……)*2すごく心配して「あの子は精神分裂病でしょうか。どうでしょうか」と聞く。私は、本人と会ったこともないんで分かるわけないんですが、まずこのおばさんはいかんと思う。(……)私は20年近くも精神科医をやっておりますが、今だかつて1人の精神分裂病者にも会ったことがなければ、1人の神経所患者にも会ったことがないし、1人の非行少年にも会ったことがない。会ったことがあるのは、あの患者さん、この患者さん、この人、あの人であって、精神分裂病者さんという人が「こんにちは」と言って来たことは一回もない。(……)自分の息子とどうつき合うかが問題なのであって、精神分裂病者とどうつき合うかが問題なのではないんです。分裂病だから、分裂病でないからといって、つき合い方が変わるんだったら、その人は自分の息子とつき合っていないんですわ。そういう人は、会社の部長さんと今結婚していたとすると、会社がつぶれたりクビになったりして、部長さんをやめた途端に離婚したりする奥さんなんです。その人はご主人と結婚してたのではなく、部長さんと結婚していたんだ。(Cited in pp.191-192)
また、河合隼雄心理療法序説』;

あるとき、吃音のクライエントの心理療法を行なっていたとき、「先生は今までに吃音の人を治療したことがありますか」と訊かれた。その質問は言外に、こんな面倒なことではなく、吃音の治療法というのがあれば、早くそれをやってほしい、あるいは、治療者はそういうのを知っているのか、という意味がこめられていた。そのとき治療者は、「吃音の方には今まで何人もお会いしてきましたが、吃音である××さんという方にお会いするのは、これがはじめてです」とお答えした。この答によって、クライエントは心理療法は「発見的」なものであり、それに伴う苦労もあることを了解されたようである。(Cited in pp.190-191)
現実存在と本質存在の話*3