囲いが取れて

福田京「前庭リニューアルについて――ル・コルビュジェの広場空間」『Zephyros』(国立西洋美術館)84、2022


曰く、


1956年にル・コルビュジエから届いた設計図には美術館、パビリオン、劇場で囲まれたオープンスペースが描かれていました。広場は美術館と同じ大きさの正方形を二つ並べた大きさで、正方形の境界線を表すように低く長い壁があり、広場へは上野恩賜公園竹の台広場(噴水広場)がある西側からアプローチするようになっていました。広場の一部と美術館以外の建物は敷地範囲を超えて計画されていたため、彼の弟子である日本人建築家がル・コルビュジと何度も打合せを重ね、敷地に合わせた詳細設計を行いました。
1959年の本館完成時[写真1]、西側の門から一直線に伸びる床の線の先には≪地獄の門*1がありました。右手に≪考える人≫、左手の≪カレーの市民*2を鑑賞しながら進むと、その先は低く長い壁に遮られています。敷地を囲う柵は透過性があり植栽も低いもので、園路との一体感があります。
2016年に本館を含む敷地全体が登録された*3世界遺産決議文には、前庭の顕著な普遍的価値が減じられていると記されました、これは公園園路に面した南西側が植栽帯で囲われ閉鎖的になっていたためです。同時に、地価の企画展示室の屋上にあたる前庭は、防水の更新時期を迎えていました。防水を更新するためには前庭にある彫刻や植栽を一旦全て撤去する必要があるため、工事ののち工事前の姿に戻すのではなくル・コルビュジエの設計意図が正しく伝わる方法を専門家にご議論いただき、可能な限り本館完成時の姿に戻すこととしました。
「閉鎖的」な「前庭」の方に馴染みがあり、リニューアルした前は最初ちょっと開放的すぎて、戸惑ってしまった。