誰が買うのか、など

承前*1

濱田麻矢「二一世紀の祥林嫂」『図書』(岩波書店)885、pp.15-19、2022


続き。
「歴史的現実とフィクションが交錯するテクスト」。
2020年に発覚した歴史的現実。河南省の話。


一九八五年の冬、李新梅の母は、重慶の駅で千元で売られた。厳寒の日に薄着で震え、人買いに殴られたのか耳から血を流していたという。彼女を購入したのは李新梅の伯母だった。寒村に暮らし、嫁をもらえる見込みのない弟のために買ったのである。耳がよく聞こえず、明らかに漢族ではない顔立ちの女に「新郎」は難色を示したものの、姉には逆らえずに結婚して二人の娘をもうけ、亡くなるまでの三二年の間を彼女と共にいた。
李新梅は、人口四千人の村で彼女の母親は明らかな「異類」だったと思っている。「誰かが話しはじめると、母は真面目に聞いているふりをしていました。打ち解けなけれならないと思っていたのでしょう。嘲笑された時も、皆が笑えば母も笑っていました」。夫と通じ合ったことはなかったが、それでも彼が死んだ時には号泣した。「一緒に過ごした時間が長かったからでしょう。それは愛情というより、愛着だったのです」。夫の死後、彼女はしきりに「家に帰りたい」と訴えるようになった。その家とはいったいどこなのだろうか。
李新梅は、母がいわゆる中国語(漢語)の話者ではないことに気づいていた。娘の彼女ですら、母の言葉は半分ほどしかわからない。ある日、母と酷似した発音を少数民族プイ族*2のサイトで見つけた李新梅は、母が泣きながら叫んでいた言葉を録音してサイトの主宰者に送った。プイ語で「子供がいなくなった」と嘆いているその音声ファイルは貴州在住のプイ族の間にあっという間に広まり、驚くことにそれからたった二日半で李新梅の母の身元は特定された。彼女はプイ族でドーリアン(徳良)という名前だったのだ。(後略)(p.17)

ドーリアンが誘拐された経緯も明らかになった。三十余年前、彼女は隣村に嫁いだ。しかし夫は先天的に耳の遠かったドーリアンを嫌い、人買いに彼女を連れ去らせたのである。ドーリアンの父が駆けつけた時には既に遅く、娘がどこに売られたのかは見当もつかなかった。ドーリアンはこの結婚で出産を経験したが、その子がどうなったかはもう知るすべはない。おそらく人買いに売られたのだろう。彼女は言葉の通じない河南で、時折その子を子を思い出しては泣いていたのである。(p.18)
嫁を買うのは誰かという問題;

売られた女性の境遇は一人一人異なるが、売買の経緯は百年前に書かれた「祝福」とそう変わらない。嫁を購入するのは独身男性自身ではなくその親族であり、その目的は父系の血筋を後世につなげる「伝宗接代」に集約される。そしていったん故郷を離れた娘たちは、経緯の如何にかかわらず「嫁にいった」ものとみなされ、生家と断絶しててしまうのだ。(ibid.)
次に言及されるフィクションは、王安憶*3の2003年の短篇「姉妹行」。「分田という娘が友人の水と共に徐州(八児の母事件が起こった都市だ)まで婚約者を尋ねる途中、誘拐されて別々に売り払われてしまったという事件を描く」(ibid.)。分田は「留三という男」に買われる。濱田さんは「新郎」たる「留三」の消極性に止目している。「新郎もまたこの強制婚の客体にすぎない」。分田を「購入」して監禁しているのは「 留三の母」である(ibid.)。

(前略) 伝宗接代は多くの中国人にとって至上の務めであるとされてきた。「八児の母」も李新梅の母も、そして分田も、そのために「夫」の親族によって購入されたのである。宗族存続のために男子に嫁を買い与えなければならないという構造的な呪縛は百年前の「祝福」から変っていない(羽虫の描く輪だ)。
「祝福」の祥林嫂は、二度目の輿入れで「線香机の角に頭をうちつけて、おでこに大きな穴が開き」、「血がどくどく流れ」、「手取り足取りで花婿といっしょに寝間に押しこめられたあとも、まだわめいておった」(丸尾常喜訳)。魯迅も祥林嫂の抵抗は詳細に描写しているが、新婦と寝間に閉じ込められた新郎については何も触れていない。強制婚とは単なる「寝間の中」の男女の問題ではなく、寝間に二人を閉じ込めて中を窺う側、伝宗接代を絶対視する中国的家族観の構造的な問題なのである。(pp.18-19)
王安憶による文学的介入;

しかし、 王安憶は[「姉妹行」の]ヒロインに祥林嫂とは別の結末を与えた。彼女は別の「嫁」の脱出に乗じて村から逃げ出し、無傷のまま実家に戻る。予想外だったのは、故郷が自分を歓迎しなかったことだ。村人たちは彼女を見知らぬ人のように扱い、母すらも態度を変える。分田がふと振り返ると、「自分の後姿を見つめていた母親と目があった。母は咄嗟に目をそらそうとしたが間に合わなかったので、気まずそうに顔を赤らめた」。命懸けで逃げてきた分田を正面から抱きしめるのではなく、彼女の体が変化したかどうかを後ろから見極めようとする母は、息子と分田を寝室に閉じ込めた留三の母とほとんど共犯関係にあるのではないだろうか。留三の母が望んだのは息子の愛情生活ではなく、息子の代で子孫を絶やさないことだった。そして分田の母が気遣ったのは娘の受けたであろうトラウマではなく、彼女がまだ処女かどうかでしかない。息子の親と娘の親、双方が子供自身の幸福よりも伝宗接代を優先させるかぎり、誘拐婚の悲劇は終わらないだろう。
帰郷はしたものの、分田の婚約者は一方的に婚約を破棄した。そして行方不明のままの水の両親は娘をさがそうとすらしない。見つかったとしても「もう嫁に行ったうなもの」だからだ。こうして、家族からも地域社会からも、そして婚約者からも見放された分田は、ただ一人で水を探す旅に出る。(p.19)
「水」との再会を果たした分田は二人で上海を目指すことになる。
さて、息子のために嫁を買うというのは辺境社会や農村社会の習俗だと思われるかも知れない。しかし、分田たちが目指した上海においても、かたちを変えて行われている。勿論、「伝宗接代」イデオロギーなどはそのままではないだろう。
佐藤雲「独身の日」という2009年の記事から*4

テレビで見た興味深い中国の結婚事情の話がある。上海のとある広場で、結婚相手を募集するイベントが開催された。おもしろいのはそれが本人同士によるものではなく、結婚適齢期の子を持つ親が参加する催しであったということだ。
 写真つきの履歴書には結婚の条件―学歴や収入、親と同居できるか等、さまざまな項目が書かれてあり、それが木と木の間に渡されたひもに吊(つ)り下げられている。中には、わが子の履歴書を胸元にかざして歩き回る親もいて、まるで「移動広告」のようである。

 履歴書を見る親たちの目は真剣そのもので、一件一件チェックし、メモしている人もいる。条件が合えば相手のことを詳しく聞き、その結果によってはお見合いの日が設定されるというものであった。

「上海のとある広場」というのは人民公園のことで、これを最初に目撃したとき*5の衝撃は相当のものだった。今回濱田さんのテクストを拝読し、この上海における結婚市場のことを思い出したのだった。