坂上弘


承前*1

尾崎真理子「近くて遠い旅」『銀座百点』(銀座百店会)808、pp.24-26、2022


このテクストには、2021年に亡くなった坂上弘*2への長い言及がある。


幼少期を青山で過ごし、戦争中から戦後にかけて鹿児島や埼玉県の秩父の自然の中で暮らした坂上さんは、日比谷高校、慶應義塾大学に学び、重大の頃から「三田文学」で才能を育まれた。都会の洗練も地方の素朴さも両方熟知した、穏やかな人柄だった。仕事と創作を両方背負った作家が多かった「内向の世代」の中で、ただ一人、精密機器メーカーを勤め上げ、その後も駒場日本近代文学館理事長などの要職に在った。
その坂上さんから、大型商業施設に建て替わったあとの銀座六丁目、交詢ビル九階の、由緒ある「交詢社」に招かれたのは、東日本大震災の翌春のこと。福澤諭吉が創設した日本最古の社交クラブの面影が残された、最奥部まで案内され、メンバー限定の食堂で艶やかなローストビーフをいただいた。
修業時代の話は断片的に聞き知っていたが、代表作の一つ『故人』をこのほど読み直し、印象を新たにした。兄事した大学の先輩作家、山川方夫の事故死と、自身の青春への惜別を描いたこの作品には、並木通りにあった「三田文学」の」編集室、新卒で勤め始めた近くのオフィス――そこを行き来する青年の鬱屈した内面が、端正な文体で留められている。この立地が氏の人生にもたらした重さに、今更ながら気づいたのである。
銀座とは坂上さんにとって、青春という遠ざかる季節に再び迷い込む、複雑に魅了されてやまない空間だったのだろう。慶應がある三田は、新橋、日比谷、東銀座の各駅に直結している。山川や江藤淳らしき人物が登場した読売新聞の連載『近くて遠い旅』(単行本は二〇〇二年刊)のタイトルも、銀座への思いが込められていたに違いない。(pp.25-26)
さらに、水上滝太郎の話(p.26)。坂上は水上の短篇集『銀座復興他三篇』(岩波文庫)の解説を書いている。



作家の坂上弘氏死去
2021年08月17日20時33分



 坂上 弘氏(さかがみ・ひろし=作家)16日、病気のため千葉県内の病院で死去、85歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。喪主は長男修(おさむ)氏。

 慶応大在学中、「息子と恋人」で芥川賞候補となり、「ある秋の出来事」で中央公論新人賞を受賞。卒業後は会社勤めの傍ら執筆し、1992年「田園風景」で野間文芸賞、97年「台所」で川端康成文学賞を受けた。現代人の内面を緻密に描き、故古井由吉氏らと共に「内向の世代」と呼ばれた。日本文芸家協会理事長、日本近代文学館理事長などを務めた。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081701076&g=soc