野村昌二*1「ウクライナ侵攻は「宗教戦争」泥沼化の可能性も プーチン氏に「ロシア正教を守る」使命感」https://news.yahoo.co.jp/articles/774aa35411a0cd4a8224fa08a5b770c88a62f9fe
露西亜によるウクライナ侵略*2を巡る、 三浦清美氏*3へのインタヴュー記事。
今回の戦争は「西欧のキリスト教とロシア正教との戦争」という「宗教戦争」の側面があるという。
NATO(北大西洋条約機構)を構成する大多数の西欧諸国は、かつてのローマからカトリックを受け入れた国々を母体としています。一方、ロシアとウクライナの前身である「キエフ・ルーシ(公国)」は988年にコンスタンティノープル(現イスタンブール)からギリシャ正教を受容します。これが、今のロシア正教の原点となりました。
カトリックとロシア正教は同じキリスト教ですが、似て非なるもの。その違いは、イエス・キリストをいかに考えるかの違いです。カトリックではキリストは神であると同時に人間であるのに対し、ロシア正教は思考の上では同じように理解しながら、感性の上ではキリストが人間であることが迫ってきます。つまり、ロシア正教は神と化した人間を求めるのです。
この違いが1千年にわたる宗教対立となり、ロシア人特有の宗教感覚は国の頂点に立つ者を「神の代理人」とする統治者観を生むことになりました。
神の代理人は、帝政ロシアではツァーリ(皇帝)で、今はプーチン氏です。プーチン氏の権力の強大さは、この統治者観の上に成立しています。
ですから神の代理人であるプーチン氏がウクライナに侵攻すると言えば、ほとんどのロシア人は神に命令されるのと同じ感覚で最終的には受け入れているのだと思います。
これに関する中澤達哉氏*4の連続ツィート;
そしてプーチン氏自身、ロシア正教に帰依しています。ロシア正教を守るためには、自分が何とかしなければという使命感に駆られているはず。世界を敵に回してもです。ロシア正教を守るためにはやり抜こうと思っているはずです。宗教戦争であるのなら、宗教指導者同士が話しあえば戦争は終わるのでは、という意見もあります。しかし、そもそもカトリックとロシア正教は対立関係にあります。また今回、ロシア正教の最高指導者の総主教はプーチン氏のウクライナ侵攻を支持しています。仮にカトリックの最高指導者である教皇が総主教に何か言えば、火に油を注ぐことになりかねません。
カトリックではキリストは神であると同時に人間。ロシア正教でもそれは基本的に同じ。だが三浦清美先生によれば、正教では人間としての面がより強調され、神と化した人間像がキリストに求められてきた。この独特な宗教感覚こそ、ツァーリを「神の代理人」とするロシア的統治者観の源だという。
— Tatsuya NAKAZAWA (@NakazawaTatsuya) 2022年4月22日
この統治者観はプーチンにも引き継がれるとともに、現在のロシア国民にも受け入れられているのではないか、とのこと(以上、4月25日号『アエラ』)。三浦先生が言うように、プーチンによる侵攻が神に命令される感覚をもって国民に受け入れられているとすれば、一筋縄ではない根深い問題と思う。
— Tatsuya NAKAZAWA (@NakazawaTatsuya) 2022年4月22日
ロシア正教総主教がプーチンによるウクライナ侵攻を祝福していることも踏まえ、三浦先生は今次のプーチンの戦争を「宗教戦争」として理解している。故に、仮にカトリックのローマ教皇が総主教に反論すれば、これは火に油を注ぐことになるという(5月1日号『サンデー毎日』記事)。際限ない泥沼化か…。
— Tatsuya NAKAZAWA (@NakazawaTatsuya) 2022年4月22日
私は、ハンガリーやポーランドの中・東欧カトリック圏の選挙王政に関心があって、より多くの者の合意を得た「最高得票者」(最後まで神の代理人とは理解されていない)が戴冠式を経て王に変身していく儀礼を検証してきた。選挙王にこそ帝権が付与されるべきという近世中欧政治思想にも慣れ親しんできた。
— Tatsuya NAKAZAWA (@NakazawaTatsuya) 2022年4月22日
なので、中・東欧は「神の代理人」というテオクラシー(神権政治)型の君主政とは、同じキリスト教圏でも対極にある。かつて中・東欧の人々が批判した、より西側の絶対王政や王権神授説もそこまではいかない(中世初期カロリング朝による世襲王政の統治をテオクラシーとみる向きはあるが)。
— Tatsuya NAKAZAWA (@NakazawaTatsuya) 2022年4月22日
カトリックで選挙国制の典型だったポーランドがプーチンの侵攻を率先して非難するのも、歴史のほか政治文化から考えると、確かに合点がいく。三浦先生の解釈を実証するような史料はすぐには思い浮かばないが、宗教論に基づく考察に刺激を受けたし、中世文学者による現代解釈に大変勉強させて頂いた。
— Tatsuya NAKAZAWA (@NakazawaTatsuya) 2022年4月22日
気になったのは、西方教会と東方教会の対立がカトリックと「ロシア正教」の対立にすり替わっているということだ。東方教会の勢力圏というのは露西亜だけではない。希臘を初めとして、殆どの南欧や東欧の正教会社会はこの、統治者=「神の代理人」という観念を共有しているのだろうか。それとも、これは他の正教会とは区別された「ロシア正教」の特性なのだろうか? その場合、対立するのは「カトリックとロシア正教」とその他の正教会ということになるけど。
私見によれば、西方教会と東方教会の最も目立った差異はその教会組織にある。カトリックは教皇を頂点とした単一のグローバル組織。それに対して、東方教会はイェルサレム、コンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキアの各総司教庁及び各地の独立正教会や自治正教会のほぼ対等な連合体ということになる。正教会と現世的な国家権力との癒着、或いは統治者=「神の代理人」という観念は、寧ろこの教会組織の効果なのではないか?
ところで、現在問題になっているのは、「カトリックとロシア正教」の対立ではなく、ウクライナ正教会を巡る露西亜正教会とコンスタンティノープル総司教庁との、東方教会内部の対立だろう。