「蜜月」とトラウマ

貴志祐介「なつかしい一冊 ロバート・シェクリイ著『無限がいっぱい』」『毎日新聞』2021年12月25日


貴志氏は小学校6年のときにこの本と出会ったのだという。


書店の店頭でシェクリイの『無限がいっぱい』を見つけたのは、小学校六年生のときだった。シェクリイについては知らなかったが、冒頭部分を読み出すと、止められなくなって買って帰り、その日のうちに夢中になって読了した。驚いたことに、私を強烈に引きつけた最初の一篇、「グレイのフラノを身につけて」は、実はこの短篇集では最も精彩を欠いた作品でしかなく、これに続く、まさにSFの王道という作品群にはすっかり魅了された。「ひる」の壮大さは、A・E・ヴァン・ヴォークトの傑作『宇宙船ビーグル号の冒険』やウルトラQの「バルンガ」というエピソードを思い起こさせたし、「監視鳥」や「風起こる」における事態のエスカレートのさせ方、落とし方には、後に私が書く作品も大きく影響を受けている。だが、この本にあるのは、単にワクワクさせるストーリーのだけではない。「原住民の問題」(現在の題は「先住民問題」)や「乗船拒否」には、常識に凝り固まった精神を皮肉る文明批評があり、「一夜明けて」や「パラダイス第2」、「暁の侵略者」では、人間の価値観をひっくり返し相対化してくれるSFならではの視点を楽しめた。掉尾を飾る「愛の語学」では、それが言語と表現、ひいては作家自身へも向けられている。
さて、

思えば、この頃こそ、私にとってのSFの黄金期であり蜜月時代だったようだ。その後、ニュー・ウェーブやレイバー・デイ・グループ*1と呼ばれる作家の作品にも深く感銘を受けたが、サイバーパンクという空虚でコケ威しのブームが来てからは、SFから遠ざかってしまったのは残念だった。(後略)
サイバーパンク*2のトラウマ、具体的には如何なるものだったのか?