中流階級が面白い

承前*1


redkitty


『三匹の蟹』の主人公と先住民の関係を論じていたのは、講談社文芸文庫リービ英雄の解説だったと思い出し、本を探したのですが、見当たらず。
 ウェブ上でこの解説に触れているものはないかとさがしてみたら、下記がありました。
https://www.hituzi.co.jp/hituzigusa/2020/10/15/ap-10/

重里徹也、助川幸逸郎*2芥川賞作品を読む|第10回 大庭みな子『三匹の蟹』(第五十九回 1968年・上半期)」https://www.hituzi.co.jp/hituzigusa/2020/10/15/ap-10/


途中でジョン・カサヴェテス*3の話になっている;

助川 この小説を読んでいて、ジョン・カサヴェテスが監督した映画みたいだな、と思ったのです。私はカサヴェテスが大好きなのですが。

カサヴェテスっていう人自身はギリシャ系の移民なんです。それで、彼につるんでいた連中っていうのはいちおう白人なんですけれども、白人の中ではマイノリティーというのが多いんです。

たとえば、『刑事コロンボ』で有名なピーター・フォークは、カサヴェテスが監督した映画にしばしば出ていたし、カサヴェテスは俳優でもあったので、『コロンボ』のゲスト出演もしています。このピーター・フォークユダヤ系です。

あと、ベン・ギャザラというオードリー・ヘップバーンなどと共演している俳優もカサヴェテスの映画によく出ています。この人はイタリア系の移民です。

アメリカ社会では、白人でプロテスタントで、という人びとがマジョリティーを形成しています。フランス人を例外として、プロテスタントでない白人の多い民族は、アメリカでは主流になりにくいのです。カトリックの多いイタリアとか、ポーランドとか、アイルランドの出身者は、アメリカでは苦しい立場に置かれます。カサヴェテスにとっての父祖の地であるギリシャも、ギリシャ正教の勢力がつよいので、やっぱりギリシャ人はアメリカ社会ではマジョリティーになりにくいらしいのです。

そして、カサヴェテスの監督デビュー作は、「アメリカの影」という作品です。この映画には、見た目は白人なのだけれど、実は黒人とのハーフという人物が出てきます。

面白いことに、カサヴェテスはあれだけマイノリティー問題を追求する映画作家なんですけれど、「一番面白いのはミドル・クラスの生活なんだ。そこに全部問題が出てくるから」ということを言っているのです。

多分マイノリティーを生み出していく社会の歪みというものは、マイノリティーそのものを描くよりも、むしろそのマイノリティーから少し遠いミドル・クラスの人間たちのある種社会システムの中で、マイノリティーが馴致されたり、はじかれたりする姿を描くことによって、その構造が見えてくるということだと思うのですね。

この小説もそうだなと考えました。むしろ自分はマイノリティーではなくてミドル・クラスで社会システムの中で比較的上手くやれているんだと思っている人たちの偽善的な生き方、社会に馴致されていく生き方が、社会のシステムから、はじかれていく人間を生み出していく構造をうまく描いている小説だと思ったのです。社会システムの闇は、実はそういうところに露出している。そのことが、すごくよくわかる作品だと。そこでカサヴェテスの映画と重なるなと感じたのです。

重里 社会の構造というものは、上流社会でもなく、下流社会でもなく、その境界のところに最も目立って表れるということなのでしょうね。その境界というのは、中流社会ともいえる。あるいは、比喩を使っていえば、支配者の心の陰りかもしれないし、被支配者の欲望や夢かもしれない。そういう形でより鮮明にあらわにされるということだと思います。

助川 そうですね。

まあ、そもそも米国の映画界というか、ショービズ一般において、「マイノリティー」(非WASP)の人が多いというのは略常識的な事実。例えば、コッポラは伊太利系、スピルバーグユダヤ系。「一番面白いのはミドル・クラスの生活」というのも、ちょっと考えれば当たり前のことだろうということは思いつく。
(ほんとうはいかがわしい)「ミドル・クラスの生活」ということだど、(カサヴェテスではないけれど)例えばサム・メンデスの『アメリカン・ビューティ』。