殿木圭一『上海』

それなりに本を読了しているのに、その読了を記録することができていない。
できるだけ、読了を記録しておくことにしたい。
殿木圭一『上海』*1は先週読了した。


はしがき


第一章 開港以前の上海
第二章 欧米資本主義下の上海
一 上海港
二 上海租界
三 上海経済
第三章 国民革命運動下の上海
第四章 事変下の上海


あとがき


索引

「はしがき」と「あとがき」とで日付が違う。「はしがき」は1941年12月、「あとがき」は1942年2月*2。この間には〈真珠湾〉があった。
「あとがき」から少し引用してみる;

中国の半封建的半植民地的地位からの脱却は、上海における欧米資本主義の駆逐を措いてはない。先に一九二〇年代において澎湃たる中国国民革命運動の波は一挙にこの上海における欧米資本主義の鉄鎖を破砕するかにみえたが、それは成し遂げえず、それを成し遂げんがためには、却つて欧米米資本主義と一応の妥協を図ることを餘儀なくされた。
大東亜戦争下に英米との妥協はない。しかし百年にわたる英米の政治的、経済的、文化的支配の編成を替へるには瞬時にして成し遂げられるものではない。又大東亜戦争下、上海の復興と建設とは大東亜共栄圏諸環の復興と建設に依存するところが多い。さうみてくると大東亜戦争の勃発は直ちに上海問題を解決するものではなく、大東亜戦争遂行自体が上海問題の解決に重要な関聯をもつことが判断される。
本文の大部分は大東亜戦争以前の上海であり、昨日の上海である。しかしなほその大部分は今日の上海にとつても重要な問題であり、解決を迫られている問題であらう。敢て降版する所以である。(pp.169-170)
日本帝国主義は〈反殖民地(反帝国)〉を叫ぶ帝国主義だった。それは日本の敵国であった米国とも共通するし、さらには(後に「社会帝国主義」と言われた)蘇聯のスターリン主義もそうだと言えるだろう。(スターリン主義も含めて)20世紀の帝国主義というのは英国や仏蘭西といった19世紀の古典的帝国主義への反措定だった、とこの本を読みながら考えた。

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/12/29/135245

*2:初版発行は1942年3月。