伊東光晴『「経済政策」はこれでよいか』

「経済政策」はこれでよいか―現代経済と金融危機

「経済政策」はこれでよいか―現代経済と金融危機

伊東光晴『「経済政策」はこれでよいか』(岩波書店、1999)を読了。


はしがき

第一章 時流に追随する人たちへ
第二章 世界経済危機の本質
第三章 「経済政策」はこれでよいか
第四章 規制緩和論の神話
    規制緩和で誰が得をするのか
    規制緩和と自由な市場
第五章 ケインズ経済学復活の条件

戦後の代表的なケインジアンによる時評集。収められた文章のうち、いちばん古いのは「規制緩和で誰が得をするのか」で、1993年の初出。「ケインズ経済学復活の条件」は1996年。「世界経済危機の本質」と「規制緩和と自由な市場」は初出が記されていないので、書き下ろしだろうか。それ以外の文章は1998年に初出されたもの。
1998年、或いは本書が刊行された1999年の初めは、1997年の亜細亜金融危機、また1997年の北海道拓殖銀行の破綻、山一証券の倒産の記憶が生々しかった頃である。そのような経済状況に応答しながら書かれたテクストだといえる。ケインズ主義の立場から、素朴に市場原理を肯定する新古典派マネタリストに対する批判的なコメンタリーが中心になっている。既に10年近く時は流れているが、市場原理の素朴な肯定という態度はまだまだ根強いので、本書で述べられたことどもは(少なくとも理論的な準位においては)現在もまだ有効なのではなかろうか。なお、この本はケインズという印籠を以て新自由主義を撃つということにとどまらず、ケインズ理論の有効性の限界を指摘することも怠らない。著者によれば、「ケインズ的政策」の効力は「不況の深化を食い止めること」であって、好況をもたらすことではない(p.163)。その中で、興味深かったのは、

(略)ケインズの『一般理論』で明らかなことだが、ケインズの理論と政策は等質的な経済構造を前提としている。つまり、どこの地域でも、どの産業でも、資本移動による調整メカニズムが働き、完全利用なり完全雇用なりが同時に達成するという前提に立っている。しかし、現実の経済はこのような等質的経済ではなく、異質的な経済である。(p.154)

(略)景気は産業ごとに跛行性を示すのが現代である。昔ならば、産業間資本移動が容易だったから、好況、不況は一様に近い形で現れていたわけである。ところが、第二次世界大戦後の状況は、ある産業は不況、しかし、ある産業は好況、こういう景気が産業ごとによって著しくいびつになって現れてくる。同時に、地域間における失業の状態がばらばらになって現れてくることを意味している。
そうなると、失業の激しい地域の住民は声を大にして政府に働きかける。順調なところは黙っている。すると、この不況地域、不況産業を救うために有効需要政策だけで対処しようとすると、必ずや過大な有効需要政策に陥ってしまう。
戦後の日本の景気政策、とくに七〇年代ごろからは、 過大な有効需要政策がケインズの名において行われ、しかも反循環政策を行わず、国債残高の累積を招き、今日の非常に難しい問題を抱えることになった。(pp.156-157)
というところか。
また、「BIS規制」問題についての指摘(pp.89-97)、「トービン・タックス」についての指摘(p.53ff.)も興味深かった。