或る日本文学研究者*1のツィート;
いわゆるFラン大学の学生さんから卒論の相談にのったことがあり、ゼミの半数以上が卒論代行に頼んでるから、普通に自力で書いて出したら落とされて卒業させてもらえない、しかし自分は卒論代行に頼むのは倫理的にいやだという話。
— miyo (@lalalamiyo) 2022年1月17日
要するに学生が自力で書いた論文は先生には見劣りするということで、代行に頼んだものはそれなりのものが出てくると。先生からすると、他の人ら(実は代行が書いてる)はちゃんと出来てるのに、自力で書いてる人は出来てないやってないと見える。
— miyo (@lalalamiyo) 2022年1月17日
吃驚。この方自身、驚いたからツィートしたのだろう。メディアからこの方の許に問い合わせが殺到しているとしても不思議ではない。
先ず思ったのは「卒論代行」*2の相場というのは幾らくらいなのだろうか。大学生が自分の生活費の中から何とか工面できる金額なのだろうか。「卒論代行」頼むから金をくれ! と親に泣きついているのだろうか。だとしたら、親のモラリティも問われることになる。
また、「いわゆるFラン大学」の先生だけど、「Fラン大学」の学生が高水準の卒論を提出した時点で、「代行」の臭いに気づかないのだろうか。もしかして、日常的な「レポート」も「代行」を使っていて、うちの大学、世間では「Fラン」とか蔑まれているけど、鋭いレポートや卒論を出してくれる学生も多いですよ、とか、(ランクが上の大学のポストにありついた)友人に自慢したりしているのだろうか。
また、「卒論」が落とされるって、どういう事態なのだろうか。書くのを断念したというのは聞いたことがあるけれど、「卒論」を落とされたというのは聞いたことがない。そもそも、「卒論」が不合格になるということがてーげーなことだろう。普通、かなり出来が酷かったとしても、ぎりぎりC評価で「卒業」はさせるんじゃないだろうか。考えられるのは、「卒論代行」を含む研究不正、そうじゃなかったら、主観的な主張、感想、体験ばかりで、〈論〉がないなど、(様式的に)論文になっていない、とか。そうじゃなかったら、日本語能力自体に問題がある、とか。
*1:https://researchmap.jp/midorisamio/
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20051215 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070818/1187426999 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070820/1187622096 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070824/1187889668 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070827/1188188656 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20140826/1409031583