承前*1
駐日葡萄牙大使館のツィート;
日本で初めてポルトガル映画が公開されたのは岩波ホールででした(1980年・パウロ・ローシャ監督作品「青い年」「新しい人生」)。
— ポルトガル大使館 (@PortugalinJapan) 2022年1月11日
高野悦子総支配人はマノエル・デ・オリヴェイラ監督とも親交が深く、数多くのオリヴェイラ作品も上映いただきました。ポルトガル大使館一同、深く感謝申し上げます。 https://t.co/4J6RkyZit7
岩波ホールの元スタッフであるはらだたけひで氏のツィート;
岩波ホールは人生の大半を過ごし、情熱の全てを注ぎこんだ場であり、閉館の知らせに語り尽くせないほど無念の思いがある。周囲への影響が極力少ないことを祈る。少なからず日本文化の一端のさらに一端を担ってきた自負があった。亡き高野悦子のことを想う。 #ジョージア映画祭2022
— はらだたけひで (@pacheral2) 2022年1月11日
さて、
岩波ホールがあったらからこそ、大阪でもコマーシャルに乗りにくい映画が多数見れた。非常に無念!
— ぽこぺん🎤@2/1 0g (@ogakohlin) 2022年1月12日
というツィートがあった。
安田登氏*2曰く、
岩波ホールではじめて観たのが『旅芸人の記録』でした。『ルードウィッヒ』も思い出します。
— 安田登 (@eutonie) 2022年1月11日
『旅芸人』を観たのは池袋の文芸座でした。
— SUMITA MIKIO (@MikioSumita) 2022年1月12日
そもそも岩波ホールが『旅芸人の記録』を引受けなければ、私が名画座でそれを観るということもなかったわけだ。それは、テオ・アンゲロプロスに限ったわけではない。
*1:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/01/12/125805
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161014/1476398574 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/04/08/142953 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/09/24/125747 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/01/15/141603 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/02/05/111013