フォーク・ターム

大窪奈緒*1、鈴木有、高杉北斗、田代翔子「“親ガチャ” 話題のことばをぶつけてみたら」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210924/k10013272271000.html


「親ガチャ」という言葉*2だけど、これは学者とか評論家とかマーケッターとかが若者を分析・考察してやろうと構築したテクニカル・タームではなく、誰が最初に発明したのかといった問題はあるものの、当事者たる若者たちの間で自生的に広がっていった民俗語彙(folk term)なんですね。但し、この記事によれば、高校生の間ではあまり使われてはいない。大学生以上の言葉であるようだ。
土井隆義*3のコメントは興味深いのだけど、これも「親ガチャ」が当事者が自らの経験を意味づけるための言葉であることを前提としている。土井氏によれば、「親ガチャ」は「ここ数年、学生の間で聞くようにな」った。


今の若い人は、深刻なことを深刻に語るのは相手に負担をかける、と考えて避ける傾向にあります。例えば『うちは貧乏だから』ってストレートに語るより『親ガチャに外れた』っていうとちょっとソフトになって、聞かされる側も反応しやすくなる。関係を築く潤滑油のような気がしています

上の世代にとっては『親ガチャ』と言われると、親に責任をなすりつけているとか、自分の努力を放棄していると感じているのかもしれません

注意しなきゃいけないのは親ガチャに外れたというのは親を非難したり、責任を押しつけたりしている訳ではないということです。おもちゃのガチャに外れてもガチャの責任だなんて言わないですよね。自分の能力では超えられないものが目の前にあるという思いを伝える時の表現だと考えてほしいんです


そうですね「親ガチャ」ということばで語らざるをえないような境遇の人がいるのは事実です。例えば親から虐待されているとか、学校に行かせてもらえないとか

そうした厳しい家庭環境にある人がそういうことばを使いたくなるのは理解してあげないといけない。自分の生きづらさを語りやすい面はあるかもしれないです

「親ガチャ」には「深刻なこと」を「ソフト」化する効果があって、それによって「自分の生きづらさを語りやすい」ものにする。また、「非難」のニュアンスはない。

「子どもは親を選べない」ということば自体は昔からあるのに、どうして今、こんなに注目を集めたんでしょうか。

これだけネットが発達し、他人と自分を比べやすくなったという面はあるでしょう

それに現代は評価が不安定です。例えば所属する企業が5年後、10年後も存続しているかどうかわからない。社会で身につけてきた属性が、将来もずっと有効かどうかもわからない

そういう時に決して揺るがないものは何かというと生まれ持ったもの。そこに重きを置くという人生観が広まる中で、親ガチャということばが使われているのかもしれません