澤井信一郎

共同通信の記事;


映画監督の沢井信一郎さん死去
2021/9/6 11:13 (JST)9/6 11:31 (JST)updated


 松田聖子さんの「野菊の墓」など女性アイドルを主役にした娯楽映画で一時代を築いた映画監督の沢井信一郎さん*1が3日午後7時3分、多臓器不全のため東京都の病院で死去した。83歳。静岡県出身。
https://nordot.app/807433867376328704

朝日新聞』の記事;

Wの悲劇」の澤井信一郎監督が死去 「野菊の墓」「時雨の記」
2021年9月6日 10時00分


 「野菊の墓」「Wの悲劇」など、良質な娯楽作を手がけた映画監督の澤井信一郎(さわい・しんいちろう)さんが3日午後7時5分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。葬儀は親族で営む。喪主は妻郷子さん。

 1961年に東映入社。マキノ雅弘監督らの下で助監督を20年間も務め、81年に松田聖子主演の「野菊の墓」で監督デビュー。完成度の高さが評価された。

 共同脚本と監督を務めた薬師丸ひろ子主演の「Wの悲劇」(84年)は毎日映画コンクールの最高賞「日本映画大賞」を獲得したほか、多くの映画賞で脚本賞助演女優賞三田佳子)を受けた。日本アカデミー賞では「早春物語」と合わせて最優秀監督賞を受賞した。

 その後も「めぞん一刻」「恋人たちの時刻」「ラブ・ストーリーを君に」「福沢諭吉」「わが愛の譜 滝廉太郎物語」「時雨の記」など、アイドルものから伝記もの、大人の恋愛ものまで、奇をてらわない正攻法の演出で玄人受けする秀作に仕上げた。

 長期のモンゴル・ロケを行った2007年の「蒼き狼 地果て海尽きるまで」を最後に、監督を事実上引退していた。監督作以外では和田誠監督の「麻雀放浪記」(84年)の脚本にも参加した。


松田聖子さん「初めての映画であたたかくご指導いただきました」
 澤井監督の死去に接し、作品に出演した俳優らがコメントを寄せた。

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 「野菊の墓」で悲恋のヒロイン民子を演じ、銀幕デビューした松田聖子さん

 「澤井信一郎監督のご逝去を悼み、つつしんでお悔やみを申しあげます。私の初めての映画『野菊の墓』の撮影では、慣れない私にとてもあたたかくご指導いただきました。撮影の時、山野を一日中駆け回って疲れた私を、いつも励ましてくださいました。あの時の監督の優しい笑顔が忘れられません。本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします」


三田佳子さん「代表作でともに戦うことが出来、大きな誇り」
 東映時代の撮影所仲間で、「Wの悲劇」で数々の助演女優賞を得た三田佳子さん

 「ご逝去の報に接し、寂しい思いでいっぱいです。『澤井ちゃん』『三田ちゃん』と呼び合い、切磋琢磨(せっさたくま)した若い日々を思い出します。澤井さんの代表作映画『Wの悲劇』でご一緒し、ともに戦うことが出来たことは、私にとっても大きな誇りです。もう一度、お会いしたかった。ご冥福を心よりお祈りいたします」

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 「わが愛の譜 滝廉太郎物語」で滝廉太郎を演じた風間トオルさん

 「ピアノを弾いたことのない私に吹き替えではなく、実際に弾いて欲しいと、1年近くレッスンをし、いつも、にこやかに、ある時は厳しく見守って頂きました。ドイツロケの時、目をつむってピアノを聴いていた姿を思い出します。天国でも芸術的な作品を作って下さい。ご冥福をお祈りいたします」
https://www.asahi.com/articles/ASP947WRTP94ULZU00L.html

澤井さんは日本映画における撮影所制度の衰退の影響をもろに受けてしまった世代といえるだろう。大学新卒で助監督として入社して監督に昇進するまで20年。マキノ雅弘といえば、澤井さんは『昭和残侠伝 死んで貰います』*2の助監督だったのだ。