拉致寸前

町田啓太「ベラルーシ五輪選手 “スピード亡命”の舞台裏」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210809/k10013185171000.html


強制帰国を拒否してポーランドに亡命したベラルーシの陸上選手、クリスツィナ・ツィマノウスカヤさん*1羽田空港での一部始終。また、如何にしてポーランド亡命が可能になったのか。
彼女はベラルーシへと拉致される寸前だった。


私が国際線ロビーに到着したのは7時50分ごろ。チマノウスカヤ選手は複数の警察官や空港にいた五輪のボランティアスタッフとともにいました。

しかし警察官は「彼女が保護を求めているようだが、本当に必要なのかわからない」と話していました。

聞くとチマノウスカヤ選手がチェックインカウンターに並んでいた時に、警戒に当たっていた警察官に声をかけ、助けてほしいと頼んできたそうです。

他の選手たちと様子が違っているわけでもなく、警察官は「どんな危険にさらされているのかわからない」とのことでした。

私がチマノウスカヤ選手に、英語でベラルーシの取材をしてきたジャーナリストであることを伝えると、すぐに彼女は事情を詳しく話し始めました。

真っ先に伝えたのは、“自分を空港まで連れてきた2人組の男はコーチを装っているが、自分のよく知らない人間である”こと、“彼らと一緒にいるのは身の危険を感じるため遠ざけてほしい”ということでした。

私と彼女のやり取りをそばで見ていたその2人組の男の1人は、問題ないから早く搭乗手続きを取ろうと彼女に勧めていました。

私が警察官に彼女の伝えたことを話すと、警察官は彼女の周りを取り囲んで男たちと距離を作りました。男たちは出国ゲートの方へと姿を消しました。

タイミングがもうちょっと遅れたら、彼女は促されるままに「搭乗手続き」をしてベラルーシ行きの飛行機に乗ることを余儀なくされただろう。
ウガンダのウェイトリフティング選手ジュリアス・セチトレコ氏*2の場合は、ウガンダ大使館関係者との接触を許してしまい、その「説得」によって(一応は)自発的に帰国し、その後「拘束」されてしまった。
明暗を分けた2つの事件から想起したのは、ブルース・グリーンウッドの映画『小さな村の小さなダンサー(Mao's Last Dancer)』*3。中国への帰国を命じられた主人公は中国大使館に幽閉されるが、その当時のジョージ・ブッシュ副大統領が北京と直談判してようやく救出されたのだった。