再び呉田人問題

承前*1

「「日本はワクチンの必要ない」「50過ぎた男は生きてる意味ない」武田特任教授の発言に「許されない」怒りの声も」https://npn.co.jp/article/detail/200012236/


あの武田邦彦が新型コロナウィルスを巡って「暴言」三昧をしたのだという。しかも宮沢孝幸との掛け合い漫才で*2
その中で、武田は「老人は何のためにいるのか、特に50過ぎた男なんて生きてる意味もないんだから」と言ったらしい。思い出したのだけど、かつて杉田水脈LGBTには「生産性」がないと発言して、炎上を惹き起こした。そのとき、「次に「生産性がない」と指弾されるのは〈男性〉かも知れないなと思った」のだった*3。つまり、


(前略)小田亮レヴィ=ストロース入門』*3で、レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』に沿って、何故定住農耕社会では「男性の交換」ではなく「女性の交換」になるのかということが議論されている(pp.114-116)。定住農耕社会になると、土地はたんなる「生産条件」ではなく、持続的な「労働投下」(メンテナンスや余所者からの防衛)を必要とする「生産手段」になる。「生産手段」に対する世代を超えた「労働投下」を行うための「単系出自集団」が成立する。世代を超えた「労働投下」が可能になるには「生産手段」を「相続」する子孫が必要である。そこで、「子どもに稀少性が生じる」。さらに「女性の稀少性」。「集団内で生まれる子どもの期待数は、その集団内部で生殖活動可能な女性の数によって決まるのであり、男性の数によって決まるのではない」。つまり「集団に女性が一人移ってくれば、期待できる子どもの数は増えるが、男性が一人移ってきても期待できる子どもの数はまったく増えない」。このことは、人権概念の外側にある家畜の牛たちの世界を見れば一目瞭然だろう。そこでは、雄は一握りのエリート(種牛)がいれば十分で、子も産めずミルクも出ない雄の多くは去勢され・肉になってしまう運命を受け入れなければならない。
レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)

レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)

  • 作者:小田 亮
  • 発売日: 2000/10/01
  • メディア: 新書
ところで、武田は1943年生まれの77歳。武田の「生きてる意味」は何なんだろうか。そういえば、杉田水脈も(自らが性転換したわけでもないのに)「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言したということがあった*4