器用仕事の罪

民俗学界隈の人が「日用品が普段と違う使われ方をすると、呪いに転じることがある」って言ってて」https://togetter.com/li/1954102 *1


こういうツィートから始まる;


民俗学界隈の人が「日用品が普段と違う使われ方をすると、呪いに転じることがある」って言ってて、コードを抜いた炊飯器の中にぬいぐるみを収納している友だちを真っ先に思い出した。
夜中に怒り狂った炊飯器が襲いかかっててくるんじゃないかと思って。
「普段と違う使われ方」。つまりブリコラージュ*2ということでしょう。詳しくは、レヴィ=ストロース先生の『野生の思考』或いは小田亮氏の『レヴィ=ストロース入門』を参照してね。ブリコラージュによる災い。例えば、傘でゴルフの素振りをしていたらやくざ者に当って、ぶん殴られる。また、私の知人で、コンドームを切らしていたので、サランラップをちんぽに巻いてセックスしたら彼女が炎症を起こしたという人がいた。このよう災いは「呪い」以外のことに求められるだろう。でも、「普段と違う使われ方」と「呪い」が結びつくという観念は理解できないでもない。つまり、ブルコラージュにおいては、元々の(ここで謂うところの「普段」の)用途は、別の用途においても、〈地〉として残り続けているのだ。古新聞で弁当箱を包む。包装紙という用途が前面化しているけれど、新聞紙の読物という用途は消えていない。だから、弁当を食べながら古新聞を読んで退屈を紛らわすことができる。この場合、〈地〉であったものが〈図〉として表面化していることになる。こうしたゲシュタルト的反転は時に不気味であることもあるだろう。そして、そこに「呪い」を感じ取ることもあるだろう。