Run, don't walk?

吉増剛造『我が詩的自伝』*1から。


[『大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙』を書き始める]その前に半年ほどアメリカにいて『静かな場所』というのを書いたときにも、ぎりぎりまで行った。孤獨なやつが言葉を拒絶して言葉を枯らして、たった一人でこもって手紙も来ずで、もう一歩行くと狂うようなところまで行った。それにアメリカは歩行できない国ですから。あそこは歩いていると犯罪者だからね。歩行できない国から帰ってきて、歩くことの喜びにつかれるようにして、その当時住んでいた駒場から北千住まで歩いちゃった。もう歩いちゃって歩いちゃって、清澄庭園なんかへも歩いていって、歩くことが楽しくて(笑)。歩きながら書いていくわけよ。その歩行の痕跡が残っているのが『大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙』でした。大病院というのは、東京医科歯科大学で、そこの脇道にカヤの木が立っていたのよ*2。そこの先に好きな女の子が働いている喫茶店があって、そこへ通っていくというのが名目で。
東京をもうとにかく歩いたというのは、今ぱっと思い出したけど、アメリカでは歩けないことの反動だったね。パリなんかは歩けるからいいけど、アメリカはニューヨークを除いては歩けない、もうどんなにつらいか。走っていればいいのよ。スニーカーを履いてランニングしていれば普通の日常生活のものとして許してくれるの。ただぼーっと歩いていると、この間ベトナムから還って来た変なやつと一緒なんだよ。歩いているということ自体が犯罪的なんだよ。それがもう身にしみて嫌で。
(略)
で、七九年から半年間滞在して、八〇年の四月に帰ってきて、歩くことの本当の喜びで書いたのが『大病院』でした。もちろんその前から、基本的には書斎で書くなんていうのは思考が働かないから、歩いているとき、あるいは電車に乗ってたって書くのね。宮澤賢治中原中也もそうだけど、それは思考が働きますよ。書斎で書いているときにも歩いている状態になってきていると言えます。だから、歩行とかステップとかサイドステップとか、詩句の傍らに点を振るのなんかもそういう歩行の痕跡ですね。そこには間違いなく、歩行が厳然として根幹にあります。(pp.187-198)
最近は日本の田舎町でも「ただぼーっと歩いている」奴は不審者として認定されるようになっているらしいけれど。
また、10年以上前に行ったハンナ・アレントヴァルター・ベンヤミン、一八九二‐一九四〇」(in 『暗い時代の人びと』)からの引用;

パリでは外国人もくつろげるのは、自分の部屋のなかにいるのと同じように、この都市では生活できるからである。アパートに住んで、それを快適なものにするには、それをただ眠ったり、食べたり、働いたりするだけの場所にするのではなく、そこで生活することが必要であるように、都市に住むということも、あてもなく町を通り抜けたり、街路にそって並ぶカフェに腰を落ち着けたりすることが必要であって、カフェのかたわらを過ぎていく歩行者の流れこそ都市の生命である。今日パリは、大都市のなかでは徒歩で何不自由なく用のたせる唯一の都市であり、また他のどの都市にもまして街路を通り過ぎていく人々によって活況をていしている都市でもある。したがって、現代の自動車交通がパリの存在そのものを脅かしているのは、単に技術的な理由によるものではない。アメリカの郊外の荒地や、多くのタウンの居住地域は、パリとはまったく正反対であり、そこでは街路の生命はもっぱら車道だけにあり、今では小道になりさがってしまった歩道を歩く人々は、数マイルの間ひとりとして人間に出会うことはない。他の都市では社会の最下層の人々にだけしぶしぶと認めていること――怠けてぶらぶらしたり、散歩したりすること――を、パリの街路は実際にすべての人に誘いかける。かくて、第二帝政以来、パリは生活の資や出世、あるいは特別な目標を追い求めたりする必要のない人々のパラダイス、したがってボヘミアンのパラダイスであった。それは、芸術家や作家だけではなく、そのまわりに集まるすべての人々のパラダイスであったが、それはかれらが政治的にも――家庭も国家も持たなかったがゆえに――社会的にも統合されえない人々だったからだろう。(ちくま学芸文庫版、pp.271-272)
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061228/1167319165
暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

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Men in Dark Times

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