筒井淳也*1「多くの不利益は無視、日本で「選択制夫婦別姓」が認められない本当の理由」https://president.jp/articles/-/34529
「選択制夫婦別姓」は何故実現しないのか。タイトルに反して、その「本当の理由」は明らかにされない。
「保守派」が反対だから「選択制夫婦別姓」は実現しないということなのだけど、何故「保守派」は反対するのか。「保守派」にとってのあらまほしき「家族」とはどういうものなのか。こういう疑問が湧いてくる。
(前略)家族のあり方に関する制度の可否は、その時々の政権の価値観に左右されがちです。そして政権が保守派の場合、最も守りたい“譲れない聖域”が家族そのものなのです。現在の安倍政権は、家族については従来の制度を守り抜きたいはずです。そこを譲ってしまうと、保守派の有権者から成る支持母体をごっそり失いかねません。たとえ政治家の一人ひとりは選択的夫婦別姓に賛成でも、うかつにそうとは言えない事情があるのです。
因みに、「家族の一体感」云々という論拠はここであっさり退けられている;
「選択制夫婦別姓」がいいことづくめの「パレート最適」であるという議論は、
次に聞かれるのが「夫婦別姓だと家族が一体的でなくなる」という意見です。私には、それは姓ではなく相性や性格の問題だとしか思えません。離婚が増えるという声もありますが、姓の不一致が原因で離婚するような夫婦なら、さっさと離婚したほうが幸せだと思います。保守派の意見はこの点で矛盾していて、緊密な家族関係の重要さを説きながら、そのような関係が姓くらいで失われるものだと考えているのです。「夫婦が別姓だと子どもが困る」という意見もあります。しかし、家族社会学の研究者として言えば、そうしたエビデンスはありません。海外には家族の姓がバラバラな国も多いですし、姓を気にせず名前だけで呼び合う国もたくさんあります。
山口一男「選択的別姓問題と個人の自由の価値」https://www.rieti.go.jp/jp/special/special_report/103.html
を参照のこと*2。
にも拘わらず、何故実現しないのか。このことを理解するには、(通常の)家族社会学から右翼イデオロギーの知識社会学へと移行する必要がありそうだ。