「テレワーク」の前提と帰結(斎藤幸平)

斎藤幸平*1「見直せ 大切な「無駄」」『毎日新聞』2020年5月3日


朱喜哲氏*2によると、「テレワーク」*3は所謂「ブルシットジョブ」を削減することで「生産性」を向上させる。


「生産性」「効率化」という言葉は魅惑的だ。だが、一見無駄に見えるとしても、実は社会や組織の人間関係や幸福度にとって大切だったということが、なくなってからわかる。「生産性が向上した一方で、会社という共通の場にいたからこそできた何気ないやりとりの機会が失われる。それが長期的にどう影響してくるか」と朱も危惧する。
テレワークがうまくいっているとすれば、それはさしあたり、既存のグループで、既存の顧客とのプロジェクトをまわしているからだ。だが、テレワークでは、普段接しない人と、偶然の出会いで、新規のプロジェクトを立ち上げる難易度は増大する。例えば、新入社員はどうやってネットワークを作り、すでに活躍している人々の間に割って入ることができるのだろうか。
かつて経営学者のピーター・ドラッカー*4が、情報技術の発展によって、水平的なコミュニケーションとシェアが「ポスト資本主義社会」を生み出すと予測した。だが、実際には、それほど水平的にはならない可能性が高い。テレワークは、新規ネットワークの格調を困難にし、すでに人脈や名声を持っている人に塩との依頼を集中させてしまうかもしれない。
(略)企業や大学がブルシットジョブをなくそうと生産性を上げていけば、労働者は端的に不要になる。待っているのは、持つ者と持たざる者が決定的に分断される社会「デジタル封建制」である。ブルシットジョブは無駄ではあるが、それは、資本主義が封建制に後退しないための「優しさ」にさえ思えてくる。だが、それも今回のパンデミックがついに打ち砕く。