別れの歌

蛍の光(Auld Lang Syne)」*1について。「蛍の光」=さよならの歌という日本的常識が揺らぐとき。
エターナル総書記氏曰く、


安達裕章氏曰く、
私の日本的常識が敗れたのは六四天安門事件直後の中国だった。公園での社交ダンス。ところで、日本的な「蛍の光」で忘れてはいけないのは、船の出航だろう。この場合、「蛍の光」とともに欠かせなかったのが紙テープ。今でも紙テープと「蛍の光」の出航が行われているのかどうかはわからない。