蛍の光


http://d.hatena.ne.jp/nekoma_k/20060718#1153183449


中学校の時の社会の先生が左翼よりだったのを覚えている。

たしかなんだか団体に入っていて(日教組だっけ?)

その先生の机の上には「蛍の光を歌わないようにしよう!」みたいな内容の

ポップがついていた。

中学の社会は一年生のときに地理をやって

二年生のときに日本史(世界史の範囲も市民革命や社会主義成立とかはやった)

三年生のとき公民をやりました。

ま、一年の地理はいいんですよ。そんなに偏った授業もしてなかったしね。

問題は中2の日本史と三年の公民。

正直そんなに時間の余裕もないのに、

太平洋戦争前の日韓併合とか日本の占領政策とかとかとかとかとか、

「東アジアの占領政策について日本は間違ったことをしたんだ!」

って何時間も何時間もしゃべられた。

公民の時間は、

資本主義と社会主義を解説する時に、社会主義のすばらしさを熱っぽく説かれた。

しかも中三のときはちょうど日韓ワールドカップが開催されていて

韓国びいきなその先生は、開催期間中ずっとその話だった

(最悪なことに、中3のときの担任の先生が、その先生だったんだ)

「資本主義と社会主義を解説する時に、社会主義のすばらしさを熱っぽく説かれた」って、「日韓ワールドカップ」の時ですよね。2002年ですよね。一瞬時代を疑ってしまった。まあ、「社会主義」という場合、理念としての「社会主義」と現存する(した)「社会主義」という区別があるわけだし。
ところで、気になったのは、「その先生の机の上には「蛍の光を歌わないようにしよう!」みたいな内容のポップがついていた」というところで、ブックマークでもkmizusawaさんが「日教組的には蛍の光もダメなんですかね」と書いている*1
問題なのは、「蛍の光」の曲というよりも歌詞。稲垣千穎による歌詞をhttp://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hotarunohikari.htmから引用してみる;


1.蛍の光 窓の雪

書(ふみ)よむ月日 重ねつつ

いつしか年も すぎの戸を

あけてぞ今朝(けさ)は 別れゆく

2.とまるも行くも 限りとて

かたみに思う 千(ち)よろずの

心のはしを ひとことに

さきくとばかり 歌(うと)うなり

3.筑紫のきわみ 陸(みち)の奥

海山遠く へだつとも

その真心は へだてなく

ひとえにつくせ 国のため

4.千島のおくも おきなわも

やしまのうちの まもりなり

いたらんくにに いさおしく

つとめよわがせ つつがなく

現在3番と4番は滅多に歌われることはないが、この3番と4番が大日本帝国拡張主義剥き出し、ナショナリズムばりばりということになる。また、上記のテクストによれば、「そして、軍国日本が勢力圏を拡張するようになると、このくだりは状況に応じ「千島の果ても」「台湾の果ても」と変えられた」ということである。http://www.page.sannet.ne.jp/nazare/tabi.htmでも「蛍の光」4番が言及されている。
4番はともかく3番は〈侵略主義〉的とはいえないかも知れない。ただ、ネーションの存立ということでは興味深い。というよりも、ネーションの本質をずばりと表現しているのではないかと思われる。また、3番と4番を比べると、大日本帝国内のハイアラーキーが透けて見える。本国/殖民地(に準ずるもの)という区別。
ところで、「蛍の光」のそもそもの歌詞はスコットランド人Robert Burnsによるもの。http://www.ktroad.ne.jp/~kazumi-t/topics/uk/auldlandsyne.htmlにその歌詞が引用されているので、孫引き;

  • Auld Lang Syne-

Should auld acquaintance be forgot,
And never brought to mind?
Should auld acquaintance be forgot,
And days of auld lang syne!

(Chorus)
For auld lang syne, my dear,
For auld lang syne,
We'll tak a cup o' kindness yet,
For auld lang syne.

And surely ye'll be your pint stowp,
And surely I'll be mine!
And we'll tak a cup o' kindness yet,
For auld lang syne.

(Chorus)

We twa hae run about the braes;
And pou'd the gowans fine;
But we've wander'd mony a weary fit
Sin' auld lang syne.

(Chorus)

We twa hae paidl'd in the burn,
Frae morning sun till dine;
But seas between us braid hae roar'd
Sin' auld lang syne.

(Chorus)

And there's a hand, my trusty fere!
And gie's a hand o' thine!
And we'll tak a right gude-willie waught,
For auld lang syne.

(Chorus)

歌詞はScottish、スコットランド英語で、タイトルのAuld Lang Syneは、標準的な英語に直すと、「Old Long SinceつまりLong Long Ago」になる*2
この歌が歌われるシチュエーションとしては、

Should auld acquaintance be forgot,
And never brought to mind?
という歌詞で始まるこの歌は、遠い昔を懐かしみ、友との変わらぬ友情に祝杯を上げ、これからの日々に希望を抱いて行こう、という感じで、大晦日のカウントダウンの後にみんなで輪になって手をつないで歌う、というのが恒例イベントです。
http://www.sanynet.ne.jp/~ecc-iogi/music/auldlang.htm
という。
曲の方はそもそもクリスマス・ソングであるという。
ところで、http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hotarunohikari.htmには、

戦後、卒業ソングとして「蛍の光 窓の雪」に始まる第1節、「とまるも 行くも限りとて」の第2節のみが歌われ、単に別れを惜しむ歌として愛唱されるようになった。


だが現在、卒業式ではあまり歌われなくなった。まさに、「明治は遠くなりにけり」である。

とある。