ゴッホは「ゴッホ」になれたのか

上野の森美術館の『ゴッホ展』*1を観た。(私だけの話かも知れないけど)ゴッホ*2ということで想起するのは、仏蘭西移住後の印象派後期印象派の影響を受けた絵。例えば「ひまわり」とか。この展覧会では、ゴッホがそのような「ゴッホ」になる以前の、和蘭での修業時代に比較的大きなスペースを割いている。和蘭時代のゴッホが影響を受けたのは「ハーグ派」と呼ばれる画家たちだった。農民生活や農村風景を描く写実主義的な絵。展覧会ではゴッホが師匠とした「ハーグ派」の代表的な画家たちの作品も展示されている。ゴッホ以外ということだと、ゴッホが影響を受けたシスレードガやアドルフ・モンティセリを初めとする印象派後期印象派の代表作も愉しむことができる。これで、浮世絵があったら言うことないだろう。話を戻すと、巴里に移住して、印象派の影響を受けたとしても、ゴッホはそれによって自ら固有のスタイルを固めることはできず、巴里を捨てて、南仏に移住して、さらに自らのスタイルを探求する。その探求は精神を病んで入ったサン=レミのサナトリウムで到達した、渦巻く世界で極まったとも言えるのだけど、その先はどうなったのかは、ゴッホ自身の唐突な死のために、誰にもわからない。ゴッホは「ゴッホ」になれたのか、それとも至らなかったのか、ということを思った。
ところで、この展覧会では「フィンセント・ファン・ゴッホ」という和蘭語に則った表記が使われている。私もついついしてしまうのだけど、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」という表記は何なんだろうね。英語+和蘭語? 英語ではGoghを「ゴッホ」とは発音しないでしょう。ゴフ?
それから、postimpressionismeは「新印象主義」と訳されていたけれど、これには違和感があったので、従来からの訳語である「後期印象派」を使った。まあ「ポスト印象派」がいいと思うのだけれど。poststructualismeを新構造主義とは訳さないでしょ?