何故「国の責任」か(松原洋子)

承前*1

松原洋子*2「強制不妊問題と国の責任」http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/318676.html


4月に衆議院を通過した(旧優生保護法下における)「強制不妊救済法案」を巡って。


4月11日に、衆議院本会議で強制不妊救済法案が全会一致で可決されました。正式な名前は、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律案」といいます。旧優生保護法のもとで、強制的に不妊手術をされたり放射線を当られたりして生殖能力を奪われた人々に対し、一時金320万円を支給することなどを定めたものです。
「優生手術」とは、旧優生保護法で定められていた不妊手術のことです。精子卵子の通り道である男性の精管や女性の卵管を縛ったり、切ったりして、子どもができないようにする手術です。

法律案の前文では、旧優生保護法のもとで、「多くの方々」が「生殖を不能にする手術又は放射線の照射を受けることを強いられ、心身に多大な苦痛を受けてきた」ことに対して、「我々は、それぞれの立場において、真摯に反省し、心から深くおわびする。」と述べられています。衆議院本会議では、この「我々」が誰を指すかについて、旧優生保護法を制定した国会や政府を特に念頭においている、と説明されました。さらに前文の最後は、「国がこの問題に誠実に対応していく立場にあることを深く自覚し、この法律を制定する」と結ばれています。
そうであれば、なぜ「反省とお詫び」の主語を、「我々」ではなく「国」としなかったのでしょうか。強制不妊手術の被害者や支援者たちは、「国」の責任を明確にすべきだとして、この点を強く批判しています。確かに、強制不妊手術には、「国」だけでなく、都道府県、市町村、専門家の団体や、医療・福祉・教育の関係者、さらには家族なども関与していました。それぞれが「我々」として、反省と自己検証の対象となりえます。
しかし、ここで忘れてはならないのは、遺伝性疾患の患者や障害者に対する強制的な不妊手術は、旧優生保護法がなければ実施できなかったということです。
20世紀の初めに「断種法」が、アメリカやヨーロッパを中心に世界各国で制定されたのは、こういう法律がなければ、優生目的の不妊手術が違法行為とみなされる恐れがあったためです。
日本でも戦時中の1940年に「国民優生法」が制定されました。その後敗戦によって、日本は過剰人口問題に直面し、戦後復興が課題となりました。そうした状況に合わせて国民優生法を作りなおし、1948年の優生保護法ができました。これによって、戦中よりも戦後になって、優生手術が盛んに行われるようになりました。「国」は旧優生保護法を運用し、都道府県を監督し、強制不妊手術を行わせてきました。その「国」に主たる責任があることは明らかです。
何故「国の責任」か。それは「強制的な不妊手術」は「優生保護法」という法律の下において行われていたからだ。また、「人工妊娠中絶」はこの法案の対象には含まれていないようだ。