ダーク・サイドに堕ちないために

承前*1

植松聖による障碍者虐殺事件を巡るArisan*2のエントリー;


「相模原の事件について」http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20160727/p1
「事件への思い・政権の意図」http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20160729/p1


前者に曰く、


つまり、この容疑者が語っているような思想は、まったく酷いものであることは確かだが、今の日本ではなんら特異なものではなく、むしろ支配的な言論だといえる。

その証拠に、首相をはじめ政治家たちは、容疑者が明言しているという差別主義的な犯行の理由に関して、明確に反対のメッセージを出そうとはしない。その理由は、そうすることが自分たちの進めている政策や、今後進めていきたいと思っている政治の方向性、および支持者である社会の大多数の人々の実感や欲望といったものを否定することにつながってしまうからだ。

この容疑者の発言と行動は、今の日本の政治権力と社会全体の雰囲気の反映だ。

だからこそ、猟奇的な関心はあっても、多くの人の命が奪われたことに対する強い悲しみも、

容疑者個人ではなく彼が表明している差別主義の思想と、行為とに対する真剣な怒りも、どこからも聞こえてこないのだ。

僕には、そのことが何よりも恐ろしい。

また、後者に曰く、

本来なら、首相をはじめ政治家たちがまず行わねばならないのは、この事件の動機だと容疑者本人が言っている、差別の思想に無条件に反対するメッセージを、公的に発することだろう。

それを行わないことは、同様の犯罪の再発を容認、もしくは扇動することにもつながる。

私も植松の言説が「まったく酷いものであることは確かだが、今の日本ではなんら特異なものではな」いということは感じた。しかし、「支配的」なものかどうかはわからない。たしかに、「差別主義」とか陰謀理論とかは、彼が自らの世界を妄想的に構築するに際して、その素材としてかなりお気軽に入手し・利用できるものとして存在していたことは疑いえない。そういうことはわかっていても、少なからぬ人がマジでやっちゃったの? と思ったのではないか。オウム真理教は1980年代的なポップ・オカルティズムのなれの果てでもあり、連中と似たようなことを言っていた奴というのもそれなりにいたわけだ(今でもいるだろう)。しかし、オウムのみが実際にサリンを撒いた。それと同様に、「差別主義」が蔓延っているにせよ、(今のところ)植松のみが虐殺を実行したというわけだ。
さて、私はこの事件は確信犯的なヘイト・クライムであり、日本社会における地下鉄サリン事件以来のテロなのだろうと思っている。その意味では〈社会問題〉或いは〈政治問題〉であるのに、それを否認して、植松個人の〈病理〉へと還元しようという欲望が存在していることも事実なのだと思う。多分、それは安倍晋三を初めとする与野党の政治家たちが「この事件の動機だと容疑者本人が言っている、差別の思想に無条件に反対するメッセージを、公的に発」していないということに表れているのだろうし、、また一部の報道などで、医学的な根拠も怪しい「措置入院」を強調したり、「措置入院」制度の欠陥を論ったり、また「大麻」とかを強調したりしていることにも表れているのだろう。その姑息な否認と還元によって、精神病者への差別と偏見が強化されるという副作用も起こっているのでは? 何にせよ、与野党の政治家が虐殺現場を訪れないというのは理解できない。


千田有紀*3障がい者施設襲撃容疑者の「神の声」はどこから来たのか」http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160728-00060463/


植松の「衆院議長宛て手紙」には「税金の無駄」という文言があった。


(前略)「税金の無駄」という言葉にドキリとする。近年の小さな政府をめざし、福祉の切り捨てを推進するなかで、さんざん目にしてきた言葉ではないだろうか。弱者が足手まといであり、弱者への福祉が、全体の福祉のためになっていないという考え方は、たんなる容疑者の妄想なのだろうか。私たちは、容疑者が異常なだけだと考え、非難したくなる。しかしひょっとして「彼」の問題は、「私たち」社会の問題なのではないのか。
また、所謂「優生思想」の問題;

障がい者施設の園長は「(利用者は)死んだほうがいい」というような容疑者の発言に対して、「その考え方は、ドイツ・ナチスの考え方と同じだよ」ということを言ったら、「そういうふうに捉えられても構わない」といような反応をしたという(障害者施設襲撃 男、障害者にいたずら書き「軽い気持ちで...」*4)。ナチス・ドイツではユダヤ人に対するホロコースト、大量殺戮が知られているが、実はそれだけではない。優生主義思想に基づく安楽死政策では、「生きるに値しない生命」とされた障がい者や重病者が、同性愛者やロマなどとともに、犠牲になっている。優秀な民族をつくるという「全体」の理想のために、「個人」は切り捨てられるべきだと考えられたのである。ユダヤ人へのホロコーストは、むしろ障がい者安楽死計画である「T4作戦」の延長上に出てきたと考えることすらできる。

しかしこれはナチス・ドイツに留まる考え方ではない。日本でも、優生思想に基づいて、障がいや病気をもつひとに対する断種、強制的な不妊手術は、戦前から行われてきている。実際には遺伝病ではないハンセン病(らい病)のひとは戦後になっても隔離され、1948年に制定された「優生保護法」の対象となり、戦後も不妊手術や人口妊娠中絶を強制されてきた。らい予防法が廃止されたのは、なんと1996年になってからである。女性の障がい者に対する子宮の摘出の問題もある。

現代における禍々しきことというのは全体主義つまりファシズムスターリン主義がその責めを引き受けることになっている*5。しかし、「優生思想」に関していえば、ファシズムスターリン主義だけでなく、自由主義社会民主主義もその〈罪〉から逃れることはできない。それはもっと深く〈近代〉というものに結びついている。千田さんは「優生主義思想に基づく安楽死政策」が「ホロコースト」に先立つとしているが、実は「優生思想」がナチスに結びついたということは〈予期せぬ帰結〉のひとつだったという可能性も高いのだ(Cf. 米本昌平ほか『優生学と人間社会』)。そもそも初期の優生論者はみな(少なくとも主観的には)反戦主義者だった。戦争というのは優生学的には不条理でしかないのだった。
優生学と人間社会 (講談社現代新書)

優生学と人間社会 (講談社現代新書)

千田さんの

彼はどこを間違ったのだろうか。私たちが「彼」にならないためには、何をすればいいのだろうか。容疑者を非難するだけでは終わらない、大きな問題を突きつけられているのではないだろうか。
という問い。それに対する答えを探すに当たって大いに参考になりそうなのが、ケンタロウという方の「相模原殺傷事件で感じた、私達がダークフォースに落ちるかもしれない危険性とその小さな対策」というエントリー*6
曰く、

この事件の最も恐ろしい部分は、犯人の異常なまでの合理的思考です。

それも単なる合理的思考ではなく、経済的な合理性と言ったほうが正確かもしれません。

たしかに「異常なまでの合理的思考」ということは感じる。或いは狂おしい正気。アマルティア・センの言葉を借りれば、合理的馬鹿(rational fool)*7ということになるだろうか。ケンタロウ氏は『スター・ウォーズ*8におけるアナキン(ダース・ヴェイダー)のダーク・サイドへの転落*9を合理性(非合理性を完全に排除した完全な操作可能性)の過剰な追及に求める。そして、「合理的の逆、非生産的でコントロールできなくて、めんどくさいもの」としての「自然」を直視せよと説く。「人は、本来、非生産的でめんどくさくて、合理的じゃない自然な生き物である」。「自然」という言葉に関しては様々な議論の余地があるので、ここでいう「自然」を〈他者性〉という別の哲学用語に置き換えた上で同意したい。他者性とは私(私たち)の意志とか主観性に対する抵抗の謂である。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160726/1469497803 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160727/1469585918 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160728/1469672337 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160729/1469759650 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160803/1470228244

*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050722 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050831 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060217/1140138853 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060305/1141541736 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060510/1147224235 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060709/1152468102 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060819/1155956865 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061014/1160799028 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070111/1168540726 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070127/1169860485 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070206/1170781404 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070207/1170844435 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070224/1172283619 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070419/1176948737 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070422/1177259244 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070512/1178902575 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070618/1182113659 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070621/1182449573 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070713/1184353368 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070902/1188718782 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071004/1191432602 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071106/1194366206 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071203/1196703664 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080222/1203680722 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080622/1214148581 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080809/1218295202 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081127/1227791421 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090703/1246591585 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111211/1323541880 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120529/1338312298 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120611/1339438869 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130222/1361461894 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160129/1454035590

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20151129/1448815193 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160415/1460657596

*4:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160123/1453520575

*5:最近では、イスラーム原理主義なども加わっている。

*6:http://kentaroupeace.hatenablog.com/entry/2016/08/04/080000

*7:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091026/1256574276 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101107/1289106057 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110204/1296794711

*8:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160205/1454642252

*9:ダーク・サイドから見れば上昇.。