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モンキー・パンチさん死去 81歳「ルパン三世」シリーズ原作者「2、3年前から体調を崩す」
[ 2019年4月17日 05:40 ]



 人気アニメ「ルパン三世*1の原作者で、漫画家のモンキー・パンチ(本名加藤一彦=かとう・かずひこ)さんが11日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。81歳。北海道浜中町出身。葬儀は近親者のみで営まれた。後日、偲(しの)ぶ会が開かれる。世界的大泥棒ながら、半世紀以上も愛される“ダークヒーロー”ルパンを生み出し、漫画やアニメが大人も楽しめるジャンルとなる礎を築いた。
 70年代からお茶の間を魅了し続ける人気アニメの生みの親が逝った。

 アニメ関係者によると「2、3年前から体調を崩し、故郷の北海道浜中町で毎年参加していたイベントも欠席しがちだった」という。それでも作品50周年の2017年には車椅子で出席。「僕だけの力でなく、いろんな方に手伝ってもらったから。100年続けばいいな」と話していた。

 高校卒業後に上京。電気関係の専門学校を経て、商社や貸本出版社などで働きながら同人誌を作った。アメコミに影響を受けた独特の画風が編集者の目に留まり、65年に漫画家デビューした。

 「モンキー・パンチ」は新人時代、漫画誌の編集長が命名。無国籍でシャレた画風からで、モンキーさんは「格好悪い」と抵抗したが一蹴されたという。

 「ルパン三世」は67年、漫画アクション双葉社)創刊号で連載開始。主人公はアルセーヌ・ルパンの孫であり、大泥棒のルパン三世。従来なら“悪役”だが、アクションありコメディーありの、奥行きある世界観が読者の心をつかんだ。

 71年にアニメ化されると、幅広い年齢層の人気を獲得。連載開始から半世紀が過ぎた今も、新作アニメや映画が製作される国民的人気作となった。

 アニメ関係者は「凄く真面目で勉強熱心な人。一方で作画にパソコンを取り入れるなど、頭の柔らかい人でもあった」。デジタル機器での作画に早くから取り組み、03年に東京工科大の大学院で編集ソフトを作るプログラムを学習。デジタルマンガ協会を創設した。

 日本アニメが“子供向け”とされた90年代以前の海外で、高く評価された作品でもあった。大人の雰囲気をまとった「ルパン」は、フランスやイタリアを中心に多くのファンを得て“クールジャパン”の先駆けとなった作家の一人だった。

 漫画連載は途絶えているが明確な最終回は掲載されていない。07年のスポニチ本紙の取材に「最終回の構想もあったが、今は思案中。完結させないままバトンを渡すのもいい」と話し、次世代の作家に託す意向も示していた。

 ◆モンキー・パンチ(本名加藤一彦=かとう・かずひこ)1937年(昭12)5月26日生まれ、北海道出身。アメリカンコミックに影響を受けて、小学5、6年のころから漫画を描き始める。大学進学のために上京。65年にムタ永二名義の「プレイボーイ入門」でデビュー。「ルパン三世」のほか「どらきゅらクン」などの作品がある。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/04/16/kiji/20190417s00041000086000c.html

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ルパン三世』のアニメには、私たちの世代は多分決定的な影響を受けていると思う。つまり、自分の審美観の中に『ルパン三世』由来の要素が確実にあるということだ。ただ、それはあくまでもアニメであって、 モンキー・パンチの漫画は小学生の読む漫画ではなかった。高校生になって、『一宿一飯』という4齣漫画集を読んで、カラフルに色づけされた『ルパン三世』と白黒の線画中心の漫画とのイメージのギャップに一瞬吃驚したということがあった。
一宿一飯 (1976年) (奇想天外文庫)

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ところで、ルパン三世山田康雄)も銭形警部(納谷悟朗)も石川五ェ門大塚周夫)も原作者に先立って鬼籍に入っているのだった*2