下村脩

NHKの報道*1


ノーベル化学賞 下村脩さん死去
2018年10月21日 21時10分


紫外線をあてると緑色に光る「GFP」と呼ばれるたんぱく質をクラゲから分離することに世界で初めて成功し、ノーベル化学賞を受賞したアメリカのボストン大学名誉教授の下村脩さんが19日、老衰のため亡くなりました。90歳でした。

下村さんは京都府の出身で、現在の長崎大学薬学部を卒業し、名古屋大学助教授などを経て、アメリカのボストン大学客員教授やウッズホール海洋生物学研究所の上席研究員を務めました。

下村さんは、アメリカ留学中の昭和37年、アメリカの西海岸沿岸に生息するオワンクラゲというクラゲから分離した「GFP」というたんぱく質に紫外線をあてると緑色に光ることを発見しました。

この発見がきっかけとなって、細胞の中に「光る目印」をつけて生きた状態のまま観察できるようになり、現在ではiPS細胞の研究をはじめ、医学や生命科学の研究に欠かせない技術となっています。

下村さんはこうした業績により、平成20年にアメリカの研究者2人とともにノーベル化学賞を受賞し、その後もアメリカの自宅に設けた研究室で研究を続けていました。

長崎大学によりますと、下村さんはアメリカから帰国して長崎市内で療養していましたが、19日に老衰のため亡くなったということです。


平和と核廃絶を訴えた下村さん
下村さんは、長崎市への原爆の投下を目の当たりにしたみずからの体験をもとに、平和や核兵器廃絶の重要性を訴え続けたことでも知られています。

下村さんは、太平洋戦争末期の昭和20年8月、長崎県諫早市にあった旧海軍の工場で働いている時、15キロ離れた長崎市への原爆投下を目撃しました。

当時の様子について、下村さんは、ノーベル賞の公式サイトに掲載されたインタビューの中で、激しいせん光や爆風に続き、空が黒い雲に覆われた様子や、いわゆる「黒い雨」を浴び、白いシャツが灰色に染まったことなどを証言しています。

さらに、下村さんは、平成27年長崎市で世界各国の科学者が集まって核兵器廃絶について話し合う「パグウォッシュ会議」が開かれた際、アメリカから参加して講演を行っています。

この中で、下村さんは「悲惨で残酷な光景のショックは強烈で、私の人生観を変えました。原爆のことは思いださないように努めていましたが、いつも私の心にうずくまっていて、消え去ることはありませんでした」、「すべては戦争に起因します。戦争と核兵器のない世界を望むのみです」と強く訴えていました。


長崎大 河野学長「無二の先達を失った」
長崎大学の河野茂学長は「長崎大学にとって無二の先達を失った悲しみでいっぱいです。長崎大学を卒業後、世界的な科学者として活躍され、長崎大学の名誉を高め、本学の教育および研究の進展に大きく寄与していただきました。これまでのご功績と長崎大学へのご貢献に対し、心よりの感謝を申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします」というコメントを発表しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181021/k10011680121000.html

下村氏のことを「ユダヤの配下」と罵ったどっかの馬鹿は何を思うのだろうか*2