出口あり?

『読売新聞』の記事;


「日本人集めるつもりない」…留学生狙い開校も

2018年10月8日 11時43分 読売新聞


 近畿地方にあるIT系専門学校は、300人を超える学生の大半が、アジア圏出身の若者だ。

 20年以上前は、地元の高校生らが中心だったが、次第に学生が集まらなくなった。外国人に活路を求めるようになったのは10年ほど前という。

 このIT系専門学校の経営者は「授業内容は行政のチェックも受けており、問題ない」と強調する。ただ、入学時には日本語が十分理解できない留学生も多く、パソコンソフトの使い方とともに初歩的な日本語も教えている。

 長野県内のビジネス系専門学校は、かつて受験予備校だったが、留学生向けに業態変更した。関係者は「地方の予備校は経営が苦しい。学校存続のため、時代に合わせた選択だった」と打ち明ける。

 留学生の取り込みを狙い、新規開校する専門学校もある。数年前に開校した西日本の専門学校の母体は日本語学校で、400人を超える学生の中に日本人はゼロ。学校の幹部は「日本人を集めるつもりはない」と本音を漏らす。
http://news.livedoor.com/article/detail/15415057/

記事に固有名詞は全然出て来ないのだが、「専門学校」や「受験予備校」が苦境に立っているというのはわかる。Fランク云々というのが或る種の蔑視語、罵倒語として定着したのが示すように、経済的問題を度外視するならば、大学に入ること、学士になることがこれまでになく容易くなってしまったからだ。浪人という社会的カテゴリーが縮小したために「受験予備校」大手の代々木ゼミナールが苦境に陥ったことは数年前に言及した*1。「専門学校」は大学にない即戦力の実学性を主張し、それをウリにしてきた筈。しかし、一方では、このイノヴェーションの激しいご時世に、既存の環境への適応を前提とした実学性の強調は却って命取りになるリスクが大きい。他方では、そのような意味での大学の〈専門学校化〉は進行している。大学は教養を得る場だと言ったら、左右からの嘲笑を返されるのが落ちだろう。
そこで、「留学生の取り込み」というのには一理ある。しかし、ここにも幾つか疑問がある。「留学生の取り込み」というのは、少子化という長期的なトレンドの中で大学が既に20年以上も前から模索し・実践してきたことだ。留学生だって、入りやすくなった大学に流れる人も少なくない筈で、そういう大学との競争をどうするのかということ。また、「アジア圏」では、どの国でも技術教育は(そのスピードに違いはあるにしても)充実してきており、博士レヴェルの最先端研究ならともかくとして、「専門学校」の、しかも「初歩的な日本語」しか必要としないようなレヴェルの事柄を、わざわざ日本に来て学ぶ意味があるのかどうかということもある。そんなの、自分の国で母国語で学んだ方がいいでしょう。或いは、業界と太いパイプがあって就職が凄くいいのかも知れない。まあ、そうだったら、、「留学生の取り込み」を図るまでもなく、日本人の間で大人気になっている筈。
別の機能(例えば単純労働者の供給源としての)については敢えて書かない。