緩いところでは?

りぃな「私の好きな色と、あなたの好きな色」https://www.huffingtonpost.jp/riina/which-colour-do-you-like_a_23400644/


曰く、


少し前にインターネット上で、「ライダーベルトを欲しがる女の子」の動画を「女の子の屁理屈」として紹介したテレビ番組が話題になりました。

番組内では、「女の子なのに、男の子用のおもちゃ(仮面ライダーのベルト)を欲しがっている」と、泣きながら母親におもちゃをねだる女の子があたかもおかしい女の子かのように紹介し、「男の子のおもちゃだからダメ」と話す母親の声とともに、「ライダーベルトを欲しがる」行為を「女の子の屁理屈」と放送していました。

この番組に対して、「この母親の方が屁理屈なのではないか?」「女の子が男の子用と言われるおもちゃを欲しがって何が悪いんだ」という声がインターネット上に広がり、とても話題になっていました。

しかし、私が気になった意見は別は少し別のところにあります。

それは、

「この女の子が性同一性障害だったらどうするんだ!」

という意見です。

「この女の子は実は性同一性障害で、心が男の子だから男の子用のおもちゃであるライダーベルトを欲しがっていたんだ!」

こういった意見がインターネット上で多くみられました。

性同一性障害という言葉を知っている人がこんなにいるんだ!」

と驚きましたが、それ以上に、

「女の子が男の子用とされるおもちゃを欲しがることがそんなに不自然で不適切なことなのだろうか?」

と思いました。

もしかしたら、この女の子は性同一性障害なのかもしれません。

でも、本当に大事なことは、

その子が「性同一性障害かどうか」ではなく、

「どんなものが好きで、どんなものを欲しがっているのか」ということなのではないでしょうか?

そういうこともあったな。
エンターテイメントにおける〈男女の別〉の発生は早くなっているのか。昔、(性別を問わず)『魔法使いサリー*1とか『ひみつのアッコちゃん*2とかを視ていたのだが、小学校高学年になるとそういうことはなくなった。これは一方ではホモソーシャルの発生ということとつながっている。また、「性同一性障害*3というのは、セックスとジェンダーの対応関係がリジッドである社会(文化)とルーズな社会(文化)では、その現れ方が違うのではないかとも思う。
魔法使いサリー DVD BOX

魔法使いサリー DVD BOX

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180215/1518654285