指紋もまた署名である?

荻原博子*1指紋認証時代で「ピース」写真にご注意!」http://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2017011165621.html


本人確認のための「指紋認証」などの「生体認証」が広く用いられるようになっている。


ただ、この生体認証には、意外な落とし穴もあるようです。みなさんは、写真を撮る時に、ピースサインをしませんか?

 実は、今のスマホは高画質で、ピースサインをした写真などをインターネットにアップすると、3メートル以内で撮られたものなら、指紋がばっちり映っていて、これを本人になりすまして悪用できる可能性があるのだそうです。また、写真なども、やたらにアップしていると、いつか顔認証で悪用される可能性が出てくるかも。

また、


神田敏晶*2「撮影時のピースサインは滅ぶのか?」http://bylines.news.yahoo.co.jp/kandatoshiaki/20170111-00066475/


こちらによると、撮影した「指紋」を「本人になりすまして悪用」するには3Dプリンターで「偽装指」を印刷する必要がある。
さて、こうした技術的な進展を草葉の陰で聞きながらジャック・デリダ先生はどう考えているんだろうね、と思った。デリダによれば、署名が「署名」として機能し得るということは、その模倣=偽造可能性と表裏一体である。以前引用した高橋哲哉デリダ』の1節を再度引用してみる;


署名が機能するためには、つまりある名前の書きこみとして読まれうるためには、署名は明らかに模倣可能な一つのマークの反復でなければならない。それを書いた「本人」が別のとき、別のところで模倣できないような署名、「本人」とは別の人が模倣できないような署名は署名ではありえない。ある「起源」の「現在」における「本人」とは別の者、一般に他者によって模倣可能ではないような署名は、そもそもその「起源」の「現在」においてさえ署名ではありないのだ。署名のこの構造的、本質的な模倣可能性は、同時に署名の構造的、本質的な偽造可能性でもある。他者によって模倣可能でなく、偽造可能でないような署名は存在しない。このうえなく独自な署名やユニークな署名、たとえ歴史上ただ一度しかなされなかった署名でも、原理上その署名の同一性は模倣=偽造可能性としての反復可能性によって構成されるのである。そして、この模倣=偽造可能性としての反復可能性は、署名の固有性、現前性、自己同一性をその「起源」において分割してしまう。ということは、署名の単純な「起源」でもあるような純粋な「現在」は存在しないということである。

デリダがここで、またもや反復可能性の〈論理〉によって、署名という出来事の一回性のなかに〈他なるもの〉の可能性を導き入れていることは明らかだ。署名の同一性がその反復可能性にあるということは、署名はつねにそれ自身の模倣、つまり〈差異を含んだ反復〉を呼び求めるということ、「最初の」署名の同一性そのものが、それ自身の模倣、つまりもう一つの署名、他の署名、他者の署名によって確認されることなしには成立しえないということにほかならない。「他者が署名する=他なる署名=他者の署名」(L'autre signe.)とデリダがいうのもそういう意味である。これはまた、ある署名(signature)の同一性はその署名の反復、つまり連署(countersignature, contresignature)による確認なしにはありえず、したがって、すべての署名は必然的に連署を、つまり他者の署名を呼び求めるものだ、と表現することができる。(pp.163-164)(Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110829/1314543718 Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141123/1416751903 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161228/1482898392

デリダ―脱構築 (現代思想の冒険者たち)

デリダ―脱構築 (現代思想の冒険者たち)

「指紋」もまた「署名」であるということ。「署名」である以上は、偽造可能性に開かれている。
個人のアイデンティティのマーカーとしての「指紋」の使用の歴史を巡っては、やはりチャンダック セングープタの『指紋は知っていた』をマークしておかなければならない。また、デリダの「署名」論としては、「署名・出来事・文脈」(『余白』所収)を。
指紋は知っていた (文春文庫)

指紋は知っていた (文春文庫)

Marges de la philosophie

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Margins of Philosophy

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なお、「ピースサイン」の起源について神田氏曰く、

そもそも「ピースサイン」は、1970年あたりから写真撮影は「チーズ」と「ピース」が当たり前。カメラの前での「笑顔」と「手持ち無沙汰」を解消してきてくれた。コニカの井上順さんのコマーシャルあたりからピースサインはやっている。この頃から日本人と写真のピースサインの相性はとてもよい。しかもジェネレーションを超えて愛用されてきた。ネット時代になってもそうだ。

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