自然な動物的反応など

承前*1

兵庫県三田市座敷牢事件だが、奇妙なことに、プライヴァシーの保護のために、被害者の具体的な「障害」(例えば病名)は明らかにされない一方で、容疑者たる父親の実名や犯行現場たる自宅の写真は公開されている。その結果、多くの読者やオーディエンスは、知りたくもない容疑者の実名に曝される一方で、被害者は知的障害なのか精神障害なのかということもわからないということになっている。こういう状況によって、メンタルに問題を抱える様々な人たちに対する差別や偏見が悪化するだろうということは想像に難くない。
さて、


粟飯原浩「<兵庫監禁>「近所から何度も苦情」世話疲れ、孤立深め」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180407-00000100-mai-soci
「プレハブ、道路から丸見え 叫び声聞いた住民も 長男監禁事件」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180407-00000536-san-soci
「長男監禁後、市が家族と複数回面談 後任に引き継ぎなし 三田」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180409-00000002-kobenext-l28&pos=4


近隣にとっても、行政にとっても〈忘れられた〉存在であったということ。まあ、初期に「苦情」を言っていた近所の人間はこの1/4世紀の間に向こう側に行ってしまったのかも知れない。


「檻に入れる際「長男が抵抗」…逮捕の父親が供述」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180409-00050086-yom-soci


曰く、


兵庫県三田(さんだ)市の精神疾患がある男性(42)が自宅敷地内の檻(おり)に監禁された事件で、檻の木枠に手で強く握られた跡があることが、捜査関係者への取材でわかった。
警察によると、これは被害者が「監禁を嫌がったか、外へ出ようとした形跡」であるらしい。
考えてみると、喚くとか暴れるというのは、抑圧や束縛に対するきわめて自然な動物的反応である。多くの人は、このことをペットと関わる中で学んでいる筈だ。猫に引掻かれたり犬に咬み付かれたり。
さて、神戸新聞では容疑者たる父親が逮捕される前にインタヴューを行っている*2。本人は「虐待」の意図を否定しているので、その悪意の不在が却って事態の残酷さを増大させているとも言える。

−トイレはどのように。

 「簡易トイレを部屋に置いていたが、なかなか使わなかった。部屋の中が汚物で汚れるので、毎回、妻が檻の下から手を伸ばして掃除していた。その光景が大変そうだったので、ふん尿を吸収するペット用のシートを敷いていた」

 −部屋の温度管理は。

 「当初はエアコンを設置していたが、ふん尿の臭いでエアコンが壊れ、3回も買い換えた。その後、夏場は扇風機のみ使用し、脱水症状を起こさないように冷えたペットボトルの水を渡していた。冬場はストーブで暖めていた」 

麻原彰晃についてショッキングなのは、現在彼が〈糞まみれの尊師〉だということだろう。それが拘禁反応の表現なのか詐病なのかという論争はあるにしても。自らの糞尿の処理(下の世話)というのが最も基本的な自己へのケアであることは間違いない。子どもは離乳に続いて、おむつが取れたとき、自立(自律)に向かって新たな一歩を進めるということになる。自らの身のまわりは糞だらけ、さらにエアコンが壊れるほどの悪臭*3。こうした環境に置かれれば、誰だって極度なストレスを経験し、暴れたり・喚いたりする筈なのだ。逆に適応してしまって、何の反応も示さなくなったら、それは人間(動物)としての或る種の終わりだと言えるだろう。


「檻に閉じ込められた長男は両目がほとんど見えず 長期監禁の影響か」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180410-00000059-mbsnews-l28&pos=3


どうなのだろうか。ナチス北朝鮮強制収容所のような過酷な「監禁」のために「失明」したというのは聞いたことがない。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180410/1523339868

*2:「25年太陽見せず「悪いことした」 息子監禁の父親、逮捕前取材で虐待否定」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180407-00000015-kobenext-l28

*3:この因果関係は理解できない。