「劣化」その他

内田樹*1「ネット上の発言の劣化について」http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php


内田氏の最近の言説には興味深いものが多く、幾つかコメントを試みたいものがあるのだが、或る事情からこのエントリーを優先することにする。あの、遺憾ながら(字義的な意味では)逝っていない布引洋*2がこのエントリーを採り上げて、また例の邪悪な想像力を駆使しつつ、内田樹=「エアーな原発御用学者」に仕立て上げようとしていたのだった*3。この妄想の妥当性は、内田氏と布引洋の文を読み比べれば一目瞭然だと思うので、ここで詳しく論ずることはしない。
内田氏のエントリーには「原発」のゲの字も出てこない。ただ色々と興味深い文章であることはたしかだ。


個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。
攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。
冒頭の一節。「ネット上での匿名発言」って10年以上前から酷かったのでは? だから内田氏もことある毎に「匿名発言」批判を行ってきた筈なのだ。さらに(例えば)最近数か月という単位で「劣化」が進んだのか。少なくとも俺にはその実感はない。チェルノブイリ福島原発との比較みたいなものなのだろうか。勿論、放出された放射性物質の量とかを指標として客観的に比較することはできるだろう*4。しかし、「個人的印象」でいえば、どちらも酷い事故であり、どっちが酷くてどっちがましかということは意味を持たないのだ。内田氏のテクストに戻ると、この後、メディア状況のネタに話が転じられるのだが、それは〈戦後文化論〉とでもいうべき尺度の問題であり、「劣化」が最近数か月の問題であれば、それとは吊り合わないことになる。

かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。
讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。
その頃の日本人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。
政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。
「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。
国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口真似する」というかたちで自分の意見を表明することができたのである。
それらのセンテンスはほぼ同じ構文で書かれ、ほぼ同じ語彙を共有しており、ほぼ同じ論理に従い、未来予測や事実評価にずれはあっても、事実関係そのものを争うことはまずなかった。
それだけ言説統制が強かったというふうにも言えるし、それだけ対話的環境が整っていたとも言える。
ものごとには良い面と悪い面がある。
ともかく、そのようにして、マスメディアが一元的に情報を独占する代償として、情報へのアクセスの平準化が担保されていた。
誰でも同じような手間暇をかければ、同じようなクオリティの情報にアクセスできた。
「情報のデモクラシー」の時代だった。
これはリアルタイムでその場に身を置いたものとしては、「たいへん楽しいもの」として回想される。
内田百輭伊丹十三が同じ雑誌に寄稿し、広沢虎造プレスリーが同じラジオ局から流れ、『荒野の七人』と『勝手にしやがれ』が同じ映画館で二本立てで見られた。
小学校高学年の頃、私は父が買ってくる『文藝春秋』と『週刊朝日』を隅から隅まで読んだ。
それだけ読んでいると、テレビのクイズ番組のすべての問題に正解できた。
そういう時代だった。
だが、70年代から情報の「層化」が始まる。
最初に「サブカルチャー系情報」がマスメディアから解離した。
全国紙にはまず掲載されることがない種類のトリヴィアルな情報が、そういうものを選択的に求める若者「層」に向けて発信され、それがやがてビッグビジネスになった。
「異物が混在する」時代が終わり、「異物が分離する」時代になったのである。
たしかに、筒井康隆の新作を読むつもりで買った月刊誌に谷崎潤一郎の身辺雑記が掲載されていたら、「ここ読まないのに、その分金出すのもったいないよ」と思う読者が出て来ても仕方がない。
メディアの百家争鳴百花繚乱状態が始まった。
そのときも「別に、これでいいじゃん」と思っていた。みんなも「これでいいのだ」と言っていた。
それによって、社会集団ごとにアクセスする情報の「ソース」が分離するようになってきた。
長々と引用してしまったが、大まかにいってそういうものなのだろう。また、これは(良くも悪くも)内田氏の少年時代、つまり日本の戦後高度経済成長期、或いは多くの人が〈ユートピア〉として憧れているらしい『三丁目の夕日*5の時代に特有の状況だったということは記しておかなければならない。それ以前においては、そもそもマス・メディア(文字)に触れる/触れないというさらに大きなディヴァイドがあった筈なのだ。
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ところで、「『荒野の七人』と『勝手にしやがれ』が同じ映画館で二本立てで見られた」。はて? これは事実なのだろう。ただ、俺の記憶だと、名画座というのは全く関連のない「二本立て」はやらなかったよ。ジャンルとか監督とか俳優とかを関連付けて番組を組むのが普通だったのでは? 『荒野の七人』だったら、西部劇特集ということで、(例えば)『OK牧場の決斗』を持ってくるとか。或いは俳優繋がりで、ユル・ブリンナーorスティーヴ・マックィーンorジェームズ・コバーン主演のものを持ってくるとか。『勝手にしやがれ』だったら、ベルモンド/ゴダール繋がりで『気狂いピエロ』を持ってくるとか、同じヌーヴェル・ヴァーグということでトリュフォーの何かを持ってくるとか。逆に『荒野の七人』と『勝手にしやがれ』を同時に、しかも平等に受け容れられるというのは生半可な客ではなくて、かなりコアな映画ファンだとはいえるだろう。
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また、「筒井康隆の新作を読むつもりで買った月刊誌に谷崎潤一郎の身辺雑記が掲載されていたら、「ここ読まないのに、その分金出すのもったいないよ」と思う読者が出て来ても仕方がない」。俺だったらお得じゃん! と思うよ。ただ、純文学/大衆文学ということでこの喩えを出しているなら、それは不適当だと思う。何しろ谷崎潤一郎は「大衆文学」に憧れつつ「大衆文学」を書くことに挫折した作家なのだから(Cf. 金井美恵子『小説論』、pp.240-244)。
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さて、内田氏は「国民全員が共有できる「マス言論」という場がなくなった」ということを述べ、そのために「マスメディアの「マップ機能」が著しく減退した」。そのために、「私たちは自分の知っている情報の価値を過大評価するようになる」という。そして、話は「ネット上の発言の劣化」へ。

私が今のネット上の発言に見る一般的傾向はこれである。
自分自身が送受信している情報の価値についての過大評価。
自分が発信する情報の価値について、「信頼性の高い第三者」を呼び出して、それに吟味と保証を依頼するという基本的なマナーが欠落しているのである。
ここでいう「信頼性の高い第三者」というのは実在する人間や機関のことではない。
そうではなくて、「言論の自由」という原理のことである。
言論が自由に行き交う場では、そこに行き交う言論の正否や価値について適正な審判が下され、価値のある情報や知見だけが生き残り、そうでないものは消え去るという「場の審判力に対する信認」のことである。
情報を受信する人々の判断力は(個別的にはでこぼこがあるけれど)集合的には叡智的に機能するはずだという期待のことである。
それは自分が言葉を差し出す「場」に対する敬意として示される。
根拠を示さない断定や、非論理的な推論や、内輪の隠語の濫用や、呪詛や罵倒は、それ自体に問題があるというより(問題はあるが)、それを差し出す「場」に対する敬意の欠如ゆえに「言論の自由」に対する侵害として退けられなければならないのである。
繰り返し書いている通り、挙証の手間暇や、情理を尽くした説得を怠るものは、言論の場の審判力を信じていない。
真理についての検証に先だって、自分はすでに真理性を確保していると主張する人間は、聴き手に向かって「お前がオレの言うことに同意しようとしまいと、オレが正しいことに変わりはない」と言い募っているのである。
それは言い換えると「お前なんか、いてもいなくてもおんなじなんだよ」ということである。
私たちはそういう言葉を聴かされているうちに、しだいしだいに生命力が萎えてくる。
幾つかの問題が錯綜しているように思われる。たしかに、「「言論の自由」という原理」や「言論が自由に行き交う場」に対する信頼や敬意は重要なことだ*6。そもそも私がいい加減な言葉を垂れ流すことができるのは、もし間違っていても、自分の言っていることが不十分でも、そのうち(未来の自分を含む)誰かが訂正或いは追加してくれるだろうという「場」への信頼を前提としている*7。そのような信頼なしでの言論活動はかなりきついことになる。真理も虚偽も全て私が引き受けなくてはならなくなるからだ。或いは、だからこそ空虚な自己肯定を強迫的に反復しなければならなくなるとも言える。自己の存亡に賭けて、自らの言の根拠が薄弱であること、怪しいことは認められなくなる。ただ、「断言」についてだが、別の解釈の可能性もある。小西康陽氏は故中村とうようの「マイナス10点」を擁護している。「6点や7点のような、当たり障りのない点数を付けても、人は誰も憶えてくれはしない」*8。これを俺流に変奏してみる。「当たり障りのない」ことばかり言っていては、言葉が馴れ合ってしまい、議論は活性化しない。そうするためには、敢えて(根拠があろうがなかろうが)「断言」によってたるんだ「場」の空気を異化し、馴れ合いを崩して、議論のためのスペースを開けなければならないということも言えるのではないか。そういえば、諏訪耕平という方も「匿名の人たちが妙に空気を読み始めた」が故に「最近ネットの匿名発言は劣化した」と述べている*9。ほかにも幾つかあるのだけれど、疲れたので、後は(未来の自分を含む)誰かに委ねる。

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050531 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050706 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060119/1137676496 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060120/1137745397 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060122/1137899122 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060128/1138470068 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060205/1139107434 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060206/1139201519 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060207/1139318386 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060209/1139504030 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060212/1139726021 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060227/1141064073 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060306/1141627016 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060306/1141675462 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060313/1142223339 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060416/1145158222 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061107/1162862295 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061130/1164899318 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061207/1165468536 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061207/1165500507 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070128/1169989586 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070130/1170131794 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070202/1170441629 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070204/1170611496 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070415/1176609189 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070415/1176614680 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070624/1182702293 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070701/1183262085 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070702/1183341499 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070704/1183564169 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070721/1185040301 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070811/1186807194 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080117/1200593641 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080219/1203440787 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080407/1207591421 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080411/1207900427 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080616/1213547154 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080904/1220538100 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090107/1231303330 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090108/1231386781 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090109/1231531269 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090111/1231697318 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090210/1234271618 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090322/1237741323 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090722/1248240487 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090914/1252945813 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090919/1253336095 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091128/1259384146 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091205/1260031366 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091213/1260686440 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100420/1271785873 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100816/1281992231 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100817/1282044428 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101106/1289051650 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101109/1289281535 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101113/1289668226 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101123/1290485341 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101124/1290623454 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101213/1292243637 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101220/1292861075 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110609/1307650973

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061031/1162317330 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080901/1220265656 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090410/1239293639 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090723/1248363299 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090727/1248634457 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091208/1260298177

*3:http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/5197130cddaaa0d225630ca7185fef1d

*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110415/1302891198

*5:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070219/1171860573 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070424/1177426986 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070630/1183221986 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070819/1187533864 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080209/1202575426 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080723/1216785625 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081116/1226865478 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081201/1228127995 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081218/1229612110 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090107/1231305022 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100215/1266254108

*6:Related to http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110731/1312133286

*7:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110626/1309027815で言及した学者の倫理に関する橋本努氏の議論も参照されたし。http://synodos.livedoor.biz/archives/1750944.html

*8:http://www.houyhnhnm.jp/blog/konishi/2011/07/post-1.html Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110806/1312646853

*9:http://d.hatena.ne.jp/koheko/20110802/p1