俊寛も見た?

安藤健二「鹿児島県・硫黄島の奇祭をライブ中継 仮面神「メンドン」が大暴れ」http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/31/mendon-live_n_11807348.html


とはいっても、昨年の記事。
鹿児島県三島村*1硫黄島*2で「旧暦8月1・2日におこなわれる八朔(はっさく)太鼓踊り」に闖入する仮面神「メンドン*3について。
硫黄島を含む吐噶喇列島は、謂わば「ヤマト文化」の南端、「琉球文化」の北端ということになるのだが(cf. 下野敏見『ヤマト文化と琉球文化』)、以前からその「琉球」でもなく「ヤマト」でもない異国性が気になっていたのだった。さて、硫黄島は平家打倒の陰謀が露見したために流刑になった俊寛僧都*4が流された「鬼界ヶ島」であるとされている。別に「喜界島」というのがあるのだが*5、ここは奄美であり、平安末期には京都の朝廷の支配も及んでいなかったので、流刑地にはなり得なかっただろう。この祭りの発生がどのくらい前まで遡れるのかは知らないけれど、俊寛は「メンドン」を見たのだろうか。また、「メンドン」が訪問者(マレビト)であるとすると、(島にとっては)俊寛も流人として都からやってきた余所者であり、構造的には「メンドン」と同じ位置を有していたといえる。とすれば、「メンドン」のイメージに俊寛が幾分かの影響を与えていたという可能性もまた否定できないのではないか。