プロポーズは101回した?

101回目のプロポーズ [DVD]

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「弱者男性を高収入女性が養え?」http://taraxacum.seesaa.net/article/453365978.html


「弱者男性」*1を「成功した女性は養え」という所謂非モテ系の論への反論。主に、「なぜ「弱者男性」の敵が「フェミニスト」なのか」というエントリーを参照している*2。以下、その論旨とはあまり関係なく、「養え」論への根柢的な違和感。
先ず第一の違和感は、パーソナルな問題を公共的な問題に摩り替えているのではないかということ。専業主夫として比較的高収入な女性と結婚生活を送りたいと思う男性がいるというのも当然な話で*3、 そのような結婚生活を希望する女性だっていないことはない筈だ。であれば、専業主夫を目指して婚活を行えばいいという話になる。水戸黄門なら、 「プロポーズ」を101回しないうちは文句を言うなと説教するかもしれない(笑)*4。或いは、「弱者男性」と「高収入女性」を引き合わせるための婚活サイトを構築するとか。こうしたパーソナルな問題が公共的或いは政策的な問題に摩り替えられる背景或いは前提には何があるかといえば、(そういう主張をする人の脳内においては)女性という存在が(男性に対して)公平に分配されるべき資源に還元されているということだろう。日本国憲法下では結婚は「両性の合意」*5以外の契機によって正当化することはできない。これには同性婚姻を排除するんじゃないかという議論もあるが、要するに当事者間の合意ということ。重要なのは、同性婚姻合法化に反対する権威主義者でさえ、この憲法の規定を前提に議論しているということだろう。言葉を換えれば、「養え」論はそうした権威主義者よりも右側に位置している。「養え」論に依拠して政策を構築しようとしても、憲法がこれを許さない。