賈科梅蒂

http://www.yuzmshanghai.org/giacometti-retrospective/
http://www.yuzmshanghai.org/giacometti-retrospective/?lang=zh-hans


現在、上海の余徳耀美術館*1にて、『賈科梅蒂回顧展(Alberto Giacometti Retrospective)』が開催されている。中国大陸で初めてのアルベルト・ジャコメッティ*2の回顧展。さて、5月17日と18日の夜に限って、無料で開放されていたので、タクシー代を25元かけて観に行ってきた*3。実は、私もジャコメッティの作品をまとまって観るのは初めてだったのだ。
父親で後期印象派の画家ジョヴァンニ・ジャコメッティによる幼いアルベルトの肖像画から始まって、遺作となったParis sans finまで、展示された作品は250点。ジャコメッティというと、誰でも思い浮かべるのは、針金のようにひょろ長くて薄っぺらい立像たちだろう。ただ、それよりも気になったのは、1930年代、薄っぺらい立像以前に始まる頭部或いは顔に対するオブセッション。また、彫刻が立つ台座への執着。さらに、ジャコメッティの絵画作品も興味深い。風景画は彼が父親の後期印象派を継承しているとともに、ヨーロッパで謂うところのアンフォルメル、北米で謂うところの抽象表現主義と同時代の人であったことを示している。人物画は勿論彫刻のための準備という意味はあったのだろうけど、それに還元できるものではない。誰かの作品に似ているぞということで思い出したのはフランシス・ベーコン*4。誰かジャコメッティ/ベーコンということで論じている人はいないのか。
ジャコメッティについて、或る建築家の方による「アルベルト・ジャコメッティ 「ある」ことを捉えること」という2006年のエントリーからコピー&ペイストしておく。ふむふむと肯いてしまった。


具体的なものからはじめる芸術家にとって、「見る」ことと「作る」ことの間、「見えるもの」と「作るもの」との間には、深い隔たりがある。多くの芸術家は「作るもの」が「見えるもの」と似ているように技巧を凝らして作品を作り、その隔たりを埋めようとする。だが、見え方や視覚的な効果を考えながら作品を作るとき、「作る」ことは「見える」ことに奉仕しているのではないか。いわば、作品はそう見えるように作られているのだ。それは絵画という表現、彫刻という表現でしかない。

だが、ジャコメッティのアプローチはそれとは異なっている。彼は自らが見えるものを見える通りに作る。そこでは、見ることと作ることの隔たりは、意図的に埋められることはない。真摯に見えることが作ることへとつなげられていく。ジャコメッティ肖像画において、人物の顔の上にはたくさんの線が錯綜している。だが、そこには輪郭線にあたる線は存在しない。なぜなら、輪郭線とは実際にはない線、絵画の見え方を考えて人工的に引かれた線でしかないからだ。ジャコメッティは白いキャンバスに線を刻み込み、空白を充填し、人間の顔を浮かび上がらせる。あるいは、針金に石膏を肉付けし、人体のヴォリュームを創出する。それは、表現ではない。絵画という存在、彫刻という存在であるのだ。では、ジャコメッティは何を見て、何を作ったのだろうか。

ジャコメッティの人体の絵画は常に正面から描かれている。絵画の焦点は人物の顔におかれ、手や服といった部分に注意が払われることはない。モデルはほとんどの場合、画家に正対して、ただ座っているだけだ。そこには一切の動きの兆候は存在していない。彫刻においてもそれは同様だ。細長い人体像にしろ、晩年の胸像にしろ、それらはただ「ある」だけであり、そこには一切の動きは存在しない。そのため見る側からしても、その絵画や彫刻はもはや特定のコンテクストやシーンに重ねられて理解されることはない。たとえば、「怒り」というタイトルで体をくねらせる彫刻があれば、我々はそれを怒りの表現だとして、作品に自分の認識を重ね、納得するだろう。だが、ジャコメッティの作品には、そのように認識を固定できる動きや表情といった、手がかりが存在しない。ジャコメッティは人間の一瞬の動きや様態を捉えるのではなく、ただ人間がそこに「ある」ことを捉えている。また、人間にはある輪郭があるように思えるが、瞬間瞬間の人間は常に異なっており、人間の像とはある時間の連続の中で、見出されているものに過ぎない。ジャコメッティは特定の瞬間の輪郭をなぞるのではなく、そこにあり続けるものを作り出す。

言い換えれば、ジャコメッティの作品には時間軸がない。作品はただそこに永遠としてある。瞬間ではなく、存在を捉えることで、ジャコメッティの作品は人間という持続する存在が持つであろう、潜在的なものを明らかにするのである。
http://d.hatena.ne.jp/ktsytkyk/20060903/p1

また、


松岡正剛*5「『エクリ』アルベルト・ジャコメッティhttp://1000ya.isis.ne.jp/0500.html


をマークしておく。
さて、余徳耀美術館では、韓国人アーティスト具貞娥(Koo Jeong A)のインスタレーション、”Enigma of Beginnings”(「起始之謎」)も展示されている*6