情報弱者という罪?

朝日新聞』の記事;


3歳児監禁致死、父親に懲役12年求刑

2016年3月4日12時33分

 東京都足立区で男児(当時3)をウサギ用のケージに監禁し死なせたとして、監禁致死と死体遺棄の罪に問われた父親で無職の皆川忍(31)と、母親の朋美(29)の両被告の裁判員裁判が4日、東京地裁で結審した。検察側は「3歳の子が言うことを聞かなかっただけで閉じ込めており、身勝手極まりない」として忍被告に懲役12年、朋美被告に懲役7年を求刑した。判決は11日。

 最終意見陳述で、忍被告は「息子はたった3年間しか生きられず、深く反省している。自分の無知や対処が間違っていたことに気づかず、申し訳ない」、朋美被告は「息子を助けてあげられず、本当にごめんなさい」と語った。

 両被告の起訴内容は、2012年12月〜13年3月ごろ、自宅で次男の玲空斗(りくと)ちゃんをウサギ用のケージに閉じ込め、口にタオルをくわえさせて窒息死させ、遺体を足立区の河川敷から荒川に遺棄したというもの。

 2人は監禁や遺体を捨てたことは認めているが、忍被告は「やったことと死亡の因果関係はわからない」と話し、朋美被告は「タオルで口をふさいだことは知りませんでした」と起訴内容を一部否認している。

 忍被告は被告人質問で、玲空斗ちゃんのいたずらに手を焼き、「次第に手をあげるようになった」と供述。自分が育った児童養護施設で石造りの蔵に閉じ込められたことがあったといい、「ケージに入れるのは、行動を制限するのに効くと思った。残酷とは思わなかった」と話した。
http://www.asahi.com/articles/ASJ342R7WJ34UTIL009.html

求刑した検察官のように、この両親を「身勝手極まりない」と切り捨てることは勿論可能だろう。しかし、別の側面からも考えてみたい。この少子化のご時世、育児というのは一生に一回の出来事になり、経験値を蓄積して次に生かすということにはなかなかなりにくい。それは、死んだ子どもの祖父母の世代にしたって、そう変わりはないだろう。また、そもそもこの三人家族は、育児に当たって、上の世代やら親戚やらの援助を受けることができたのかどうかもわからない。父親の方は「児童養護施設」で育ったということなので、自分の親とか親戚からの援助は難しかったのではないかと推測される。しかし、他方では、21世紀においては、インターネットに接続してGoogleとかYahooで検索すれば、子どもがぐずったときにはどうすればいい、子どもが悪戯をやめない場合はどうすればいいといった情報が次々にヒットするというのも事実なのだ。勿論、ネット上の情報は(というか、書籍を含めて、情報というのは一般的にそうなのだろうけど)玉石混交というか毒もあれば薬もあるという状態なので、それらを区別するためのスキルというかリテラシーも要求されるのだが、(私も含めて)少なからぬ親が、初めての育児に当たって、ネットで検索した結果を比較したり取捨選択したりしながら、突発する問題とかに対処しているのではないだろうか。勿論、Mixiのコミュもあるだろうし、教えて何ちゃらとか何ちゃら知恵袋というのもある。父親は自らの「無知」を認めているようだけど、これは、知的な孤立状態の中で、ネット検索することができなかった、或いは検索する知恵が回らなかったことによる悲劇といえるのではないか。情弱であるという罪。そこで呼び出されたのが、自らの幼児期の「石造りの蔵」の記憶。虐待の相続/世襲*1