修学旅行嫌い或いは裸の問題

蓮池由美子「楽しい修学旅行を嫌がる子どもが急増中!その理由は?」http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20160224-00046581-r25


「修学旅行を嫌がる子どもが急増中」で、その理由を精神科医/漫画家のゆうきゆうさん*1に訊ねるという趣旨なのだが、「修学旅行を嫌がる子どもが急増中」である証拠は示されていない。勿論、そんな話は初耳だ。「修学旅行を嫌がる子どもが急増中」ということはデータを示すことも不要な程自明な事実なのだろうか。俺の感覚としては、「修学旅行」というのは昔から好きな奴もいれば嫌いな奴もいたということになるんじゃないかと思う。勿論、昔は好き嫌い以前に経済的理由で、「修学旅行」に行けないという子どもも少なくなかった筈だ。「修学旅行を嫌がる」理由として挙げられているのは、(親との)「分離不安」と夜尿症。でも、これらが最近になって「急増」しているということは示されていない。あの坂本龍馬も夜尿症だったという話を聞いたことがある。また、子どもには「分離不安」があると同時に、やたら(親元を離れて)親戚の家とか友だちの家とかにお泊りしたがるという傾向もあることを記しておかなければならない。
「急増」しているかどうかは知らないものの、子どもが「修学旅行を嫌がる」理由が思い当たらないわけでもない。思春期というのは性的存在としての自己を見出す時期でもある。性的な身体というのは他者に開かれた身体である。しかし、同時に、思春期において、私たちはプライヴェート*2領野としての自己の身体というのも見出す。自らの身体を他者へ開き、他者の身体も開いて、そこに入っていくのがセクシュアリティであるわけだが、プライヴェートな領野としての身体に対しては、如何なる他者の手はいうまでもなく視線もシャット・アウトしようとする。思い出したのだけど、中学になって、セックスというのは自分の性器を相手の性器に嵌め込むことだという知識を得たものの、強烈に感じたことは相手に自分の裸、特に下半身を見せるのは恥ずかしいということだった。それで、自分は裸にならないで如何にしてセックスするのかということを数か月間妄想していたことがあったのだった。私たちの時代、体育のときの男女同室での着替えというのは当たり前だったけれど*3、みな、男女を問わず、自分の裸を他人に見せないために周到な工夫をしていた。プライヴェートな領野としての身体がシャット・アウトする他者は、特に思春期初期においては、同性か異性かを問わない。修学旅行といえば入浴がつきもの。入浴においては、自らの裸を、(特に男子の場合は)自らの性器も*4他者に晒さなければならない。そんなのは恥ずかしいから嫌だという人がいるというのは理解できるだろう。1980年代だったか、最近の子どもは修学旅行で入浴するときに海パンを穿くということが一部で問題になっていたように思う。

*1:http://sinri.net/ See eg. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%8D%E3%82%86%E3%81%86

*2:私秘的と訳すのがまさに相応しいだろう。

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060309/1141920028

*4:女性にとっては難しいということは、林永子「見せようとしなければ、見えない、私たちの女性器」http://mess-y.com/archives/20147を参照のこと。Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150610/1433905165