「ほぼほぼ」と「大丈夫」

山本亮介「「ほぼほぼ」の進捗率は何%? いつから出現? 専門家に聞いてみた 」http://withnews.jp/article/f0160221000qq000000000000000W03d1101qq000013035A


たしかに「ほぼほぼ」というのを聞いたことはあまりない。


 そもそも、いつごろから使われ始めた言葉なのでしょうか。国語辞典編集者の飯間浩明さん(48)にうかがいました。

――「ほぼほぼ」という言葉を初めて耳にしたのはいつごろですか。

 初めて耳にした時期は2013年7月ごろで、個人の談話だったと思われます。その時、気になって調べてみると、「最古例」は1999年8月10日のネット上のブログでした。「新しい言い方だ」と思いました。

――どんな経緯で生まれた言葉なのでしょうか。

 「ほぼほぼ」は日本語としてごくごく当たり前の強調表現です。「まあまあ」など、副詞やその他のことばを繰り返すことはめずらしくありません。

 島崎藤村「破戒」では「今々其処へ出て行きなすった」と「今」を強調して重ねています。「源氏物語」の時代から「いと」を重ねて「いといと恥づかしきに」のように言うことはありました。

 「そもそも」だって「そも」の繰り返し強調です。とすると「ほぼほぼ」をことさら俗語扱いすることもないのですが、新参者ということもあってか嫌う人が多いため、公に使いにくいのはやむをえないでしょう。

破戒 (岩波文庫)

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「日本語としてごくごく当たり前の強調表現」というよりも、繰り返しによって意味を強めたり拡張したりするというのは、シナ・チベット語族にせよオーストロネジア語族にせよ、亜細亜の言語という感じはする。といっても、日本語といちばん関係が深いとも言われるアルタイ語族*1ではどうなっているのかというのは知らないのだけど。或いは朝鮮語では? アイヌ語では?
飯間浩明氏は「新参者ということもあってか嫌う人が多い」と述べているのだけど、山本氏の記事には「嫌う人」のコメントは収録されていない。
「ほぼ」とほぼ同義の言葉に殆どというのがある。「ほぼ」と「殆ど」とではどちらが多く使われるのだろうか、或いはどちらの意味が強いと思われているのだろうか、というような疑問が頭を擡げてきた。また、


ほぼほぼない


と否定形で使うと、凄く強烈な否定の意志を感じてしまうのだけど、これには全く根拠なし。




宮本茂*2「「大丈夫です」って、なにが大丈夫なの 気配り表現?言葉の乱れ?」http://withnews.jp/article/f0150215000qq000000000000000W01o1101qq000011475A


「大丈夫」の意味の変容。この新「大丈夫」は俺も何度か(その多くは若い男によって)話しかけられたことがあり、大いにむかついた。この記事を読んで新「大丈夫」に悪意はないらしいということはわかった。でも好きではないので、俺に対しては使わないように! 


従来の意味とは異なる「大丈夫」がしきりに使われることが気になって、調査した言語学の研究者がいます。実践女子大学の山下早代子教授*3です。
 山下さんが実際に体験した事例を分析してみると、これまで使われていた様々な表現に「大丈夫」が取って代わっていました。

【スーパーのレジで「袋は一つで大丈夫ですか」】

従来なら「よろしいですか」

【電車で赤ん坊を連れた女性に席を譲ろうとすると「大丈夫です」】

従来なら「結構です(断り)」

【パン屋でサンドイッチ購入時に「お手拭きは大丈夫ですか」】

従来なら「ご入り用ですか」

【ガソリンスタンドで「灰皿は大丈夫ですか」】

従来なら「(タバコの吸い殻などを店員の方で)捨てる必要はありませんか」

1番目と2番目の例には殆ど違和感がないけれど、3番目と4番目については大いにある。それよりも、大きな混乱の素になっているのは、「大丈夫」を端的に否定だけの意味に使う用法だろう。俺がむかついたのも、どちらかというとこっちの方。「若者の「大丈夫」の使い方がおかしい…あなたは「大丈夫」?」という『AERA』抜粋記事*4に曰く、

「大丈夫」っていう言葉が、大丈夫じゃないらしい。ノー、の意味に使う若者が増えているというのだ。何だ、また乱れる若者言葉か、と単純な話でもないようで……。

 東京・銀座でバーを営むマスター(75)。東京五輪の翌々年、1966年に店をオープンして半世紀、言葉や時代の移り変わりを肌で感じてきた。記者が久しぶりに店を訪ねると、「最近、妙な言葉に出合った」と切り出した。

「50代の常連のお客さんが独りで店に来たので、どうしました?と聞くと、20代の若い部下を誘ったけれど断られたって。それはいいんだけど、その断り方が訳わからない。“今晩、一杯飲みに行くか?”って誘ったら“大丈夫です”って言われたって言うんだ。“大丈夫”なら来られるはずだろう。いったい何が大丈夫なんだ?」


そんな「本来」とは違う使われ方。発信源はどうやら若者のようだ。そこで東京・渋谷にキャンパスがある実践女子大学の学生たちに、どんなとき「大丈夫」を使うのかを聞いてみた。

 学生Aさんは、友だちの誘いを断るときに「大丈夫」を使うという。

「“今日、ムリ”とか言ってきっぱりと断ると、相手を傷つけてしまう気がする。でも“大丈夫”だと優しい感じがします」

 同じく実践女子大のBさんは「レシート、要りますか?」と聞かれたときに「大丈夫です」と言って断る。

「“要りません”だとキツイ感じがして。わざわざ聞いてくれてありがとうみたいな気持ちをこめて“大丈夫”と言います」

鍵言葉は「気遣い」。

最近の辞書にはどう書いてあるのだろう。気になって、若者言葉に強い明鏡国語辞典を開いてみた。2010年に発刊した第二版でいち早く「大丈夫」の新用法に触れている。

「相手の勧誘などを遠回しに拒否する俗語。そんな気遣いはなくても問題はないの意から、主に若者が使う」と説明。例文として「お一ついかが?」「いえ、大丈夫です」を挙げている。

 辞典の編者で新潟産業大学学長の北原保雄さん*5はこう話す。「20代の部下が50代の上司に“大丈夫です”と言ったのは、私を誘ってくださるようなお気遣いはなくて大丈夫です、という意味。本来は、危なげがない場面で使う言葉なので違和感が生じるのです」

また、宮本茂頼氏の記事に戻ると、

それでは、なぜこのような使い方が広まったのでしょうか。山下さんは「ネガティブ・フェイス」という用語を使って、分析します。これは人間が持つ「侵害されたくない」「放っておいて欲しい」という欲求だそうです。「よろしいですか?」という依頼、あるいは「必要ないです」という断り、は直接的な表現で相手に負担をかけます。これに対して、「大丈夫」はより婉曲的で、相手を気遣った表現になっているといいます。

 相手も自分も様々な表現に煩わされることなく、かつ相手を傷つけない。いまどきの「大丈夫」は、とても便利な表現であるようです。

なるほど。でも何故、その「気遣い」に違和感を持つのだろうか。多分、「気遣い」の不純さを感じてしまうからだろう。或いは、話し手の卑屈さや狡猾さ。つまり、「大丈夫」からはうざいんだよという裏の意味が読み取られ、さらに話し手の、うざいといいたいけれどいわない卑屈さや狡猾さが推定されるということだろう。
ところで、漢語で「丈夫」は成人男性、また男性配偶者を意味する。「大丈夫」も成人男性で、古い和語でいえば、ますらおと訓ずべき語といえるだろう。ただ、最近では日本語的な意味の「大丈夫」の使用も広がっているという。日本産のAVのおかげで。