「よき人」、「聖人」ではなく

生きる哲学 (文春新書)

生きる哲学 (文春新書)

若松英輔『生きる哲学』*1第4章「喪う 『論語』の哀しみ」から。
論語』「先進」*2によれば、弟子の顔淵が亡くなったとき、「噫。天、予れを喪せり。 天、予れを喪せり」と語った*3


弟子の死をめぐるこの『論語』の一節は、後継者の死をもって、「道」が伝わらなくなった、それは自分が「喪んだ」に等しいことだと、解釈されることが多い。解釈としては間違えてはいない。しかし、この一節をじっと眺めていると、語意的な解釈とは異なる光景が浮かんでくる。感嘆の発語のほかに、同じ言葉が繰り返されるほかないこの章句には、二千五百年を経た今でも、その哀しみの現場に読む者を引き込む迫力がある。言葉が時空の帳を破る音さえ感じられる。(pp.76-77)
論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

そのような孔子を、本居宣長*4は「よき人」と呼んでいる;

(前略)宣長はどこまでも漢意を排することを説いたが、孔子は別だった。彼は孔子を「よき人」と呼んでいる。宣長は七十一歳のときにこんな歌を詠んだ。「聖人と 人はいへども 聖人の たぐひならめや 孔子はよき人」*5。世人は孔子を聖人といって崇めるけれども、孔子はそんな人ではない。孔子は「よき人」、もののあわれを生きた人だというのである。
もののあわれを知るとは、悲しければ、悲しみに意味を探ろうとする前に、どこまでも悲しみを感じ尽くそうとする本能に素直に生きることである。悲しみだけではない。あらゆる「情」の動きを、解釈せず、そのままに生きること、そこに生の充実を感じることである。「 噫。天、予れを喪せり。 天、予れを喪せり」、このとき、これ以上の言葉がここに連なっていたなら、宣長孔子を「よき人」と呼ぶことはなかっただろう。(p.80)