「田端氏の「子供が死ぬのは仕方ない」発言は、親の心情としてはわかる話」https://popaikenzo.hatenadiary.jp/entry/2018/06/04/000721
以下に引用する部分に対しては、全面的に同意する;
でも、
(前略)子供を育てている人間としては、子供が事件や事故に巻き込まれる、何らかの事情で命を落とす、障害が残るという可能性は、恐怖以外の何物でもありません。もし子供が何かで命を落とすなら、躊躇なく自分の命を持っていてほしいです。それは、自己犠牲の精神ではなく、子供の死という辛すぎる事象を乗り越えないといけない自分が可哀そうすぎるというエゴイズムからです。そんな悲しみに襲われるぐらいなら死んだほうがいい。
という部分には同意できない。子どもの数が「多い方が[子どもが自分よりも先に死ぬ]恐怖感が和らぐだろう」とは「推測」できない。子どもが自分「より先に死んでしまうかもしれない」可能性は平等にあるといえる。或いは、二度あることは三度ある。子どもが1人死ぬだけでも大惨事なのに、それが三度も繰り返される可能性がある。そんなの嫌だ。もうこれっきりにしたい。ただ、こう考える人がいるということは理解できる。しかし、善良な人間はこういう事柄を巡って「リスクヘッジ」などいう言葉を使ってはいけない。
僕は今子供が2人いますが、本当は3人ほしくて奥さんにお願いしていますが、産むのがしんどいから嫌だと断られています。3人ほしい理由は、今いるかわいくて仕方がない2人が、僕より先に死んでしまうかもしれないというエゴイズムからです。2人→1人 or 0人より、1人でも多い方が、残された子供のために頑張ろうと思えるかもしれません。そりゃひとりひとりは言われるまでもなく、かけがえのない存在で、死んだら替えがききません。そんな事はわかっていますが、それでも多い方が恐怖感が和らぐだろうと推測しています。
さて、このエントリーの発端となった田端信太郎の発言;
だが、本来ならこれが発せられたシークエンス(コンテクスト)を参照しつつ論じなければいけないのだろう*1。
自分の子どもが、イジメや過労死で自殺したら?ですか。。。自分の教育がもしかしたら悪かったけど、一義的には、子供とはいえ、他人の人生で、親が100%コントロールできるわけもないから、しょうがないなー、と思うだけです。そういうときのために3人も子供作ったのよ。リスク分散。 https://t.co/uYKhzceim0
田端 信太郎@「ブランド人になれ!」7月発売 (@tabbata) June 2, 2018
https://twitter.com/tabbata/status/1002911009055518720
まあ、本居宣長なら、田端信太郎のことを〈悪しき人〉というだろうね。『論語』「先進」篇によれば、弟子の顔淵が没したとき、孔子は「噫。天、予れを喪せり。 天、予れを喪せり」と泣き喚いた(See 井波律子『論語入門』*2、pp.192-194)。そのことを以て、宣長は孔子のことを「よき人」と呼んでいる。宣長にとって、孔子の思想(漢意)はごみでしかなかったけれど、にも拘らず孔子はいい奴、「もののあはれ」を知る人だったわけだ(Cf.若松英輔『生きる哲学』、pp.76-80)*3。
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*1:そのシークエンスについては、例えば、リテラ編集部「ZOZO田端信太郎が「過労死は自己責任」とツイートし炎上!「高プロ」にも通じる新自由主義者のグロテスクな本音」http://lite-ra.com/2018/06/post-4047.html
*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180528/1527475139
*3:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160115/1452828304