ノスタルジックなFIFA

承前*1

David Smith “How Sepp Blatter won the hearts and minds of Africa to ride out Fifa storms” http://www.theguardian.com/football/2015/may/28/sepp-blatter-fifa-africa-zambia


前代未聞で、且つ慢性的なスキャンダルに見舞われているFIFA。そのブラッター会長は現在〈辞めろコール〉の直中にあるが、その一方で、これまでアフリカを初めとする第三世界のサッカー関係者から絶大な支持を得ている。その秘訣のひとつは、ブラッターFIFA会長に即位した1998年に始まったGoalというFIFAのプログラムである*2。これまでにこのプログラムの下で700以上のサッカー関連施設が建設された。Goalは第三世界を中心にピッチや練習施設から合宿施設、サッカー協会本部ビルに至るまでのサッカー関係のインフラ建設を助成するプログラムである。ブラッターはインフラのばらまきと引き替えに政治的な忠誠心(自分への投票)を買っていることになる。
多分少なからぬ日本人は、このブラッターの手口に親しみさえ覚えるのではないか。インフラとか補助金のばらまきによって地方からの政治的忠誠心を買い取るというのは、田中角栄とかに代表される昭和の自民党の手口である。これが平成になってからというか、1990年代になってからは、国内外の情勢の変化とともに、すっかり廃れてしまい、自民党新自由主義化する途を歩んだのは周知の通り。尤も小渕優子*3とその関係者の脳内ではまだ脳内で〈昭和〉が続いているのかも知れないけれど。また、自民党が変容する中で、反新自由主義を唱える自称左翼とかリベラルの一部にとっても、昔の自民党は人情味があったねなんて、ノスタルジックな憧れの対象となっているということもあるんじゃないか。
FIFAの腐敗を巡る「FIFA汚職―これはレッドカードだ」と題する『朝日』の社説を読んで*4、その主張は妥当なものだと思ったけど、ノリとしてかつての田中角栄が嫌いな都会派リベラルのノリを想起させた。勿論だからといって悪いということは全くないのだが、あくまでも予期せざる結果だったとはいえ、 田中角栄が嫌いな都会派リベラルの心情が1990年代以降の(例えば)自民党新自由主義化の下地をつくったという側面もあるわけだ。