そして誰も削らなくなった

『朝日』の記事;


カツオ節に木くず、教諭「食べてもいいよ」 生徒が口に

2015年5月24日00時29分


 神戸市立中学校の30代の男性教諭が今年2〜3月、技術科の授業中に、かんなで削った木くずをカツオ節に混ぜて食べるよう促し、生徒約30人が口に入れていたことがわかった。大半は教諭の指示ですぐに吐き出したが、のみ込んだ生徒もいたという。健康被害の報告はなかった。市教委は「不適切な指導だった」として処分を検討している。

 市教委によると、教諭は1、2年生計6クラス(計195人)で授業した際、かんなの使い方を実演。削った木くずと持参した市販のカツオ節を手のひらに乗せて「見分けがつかないでしょ。食べてみてもいいよ」などと言いながら教室を巡回。各クラスで4、5人が口に入れた。教諭はすぐ吐き出してうがいもするよう言い添えたが、のみ込んだ生徒もいた。教諭は「薄さを体感させたかった」と話しているという。

 外部からの指摘で22日に発覚。教諭と校長が同日から24日にかけて口に入れた生徒宅を訪問し、謝罪しているという。
http://www.asahi.com/articles/ASH5R3J3GH5RPIHB002.html

校長がわざわざお詫び行脚するほどのことか。クレイムを申し立てた奴は(鰹節がたっぷりかかった)冷や奴の角に頭をぶつけて死んでしまえ!
さて、私たちの世代では、鉋と鰹節との換喩的関連性というか鉋屑と鰹節との隠喩的関連性は自明であるように思う。私の子ども時代、どこの家でも専用の鉋(のようなもの)があって、鰹節を削っていた。何時の間にか、鰹節は家で削るのではなく、スーパーで削り節を買ってくるものということになってしまった。私の家でも、鰹節を削る鉋は物置の奥にしまわれたか、捨てられたかしてしまった。しかし、皆が家で鰹節を削らなくなったのが何時頃なのかは思い出せない。1970年代の後半か、それとも80年代の前半か。
「神戸市立中学校の30代の男性教諭」も授業で使ったのは「市販のカツオ節」であって、鉋で鰹節を削ってみせるということはしなかった。彼の親も台所で鰹節を削るということはしなかったのか。