私たちは例えばチベットの鳥葬という習俗に屡々驚愕する*1。
ところで、多田智満子『魂の形について』では、熊野三山の「牛王法印」に言及し、その烏が熊野の神の使者であること、カムヤマトイハレヒコ(神武天皇)を八咫烏が先導したことが述べられた後(pp.53-54)、以下のように述べられている;
「五来重氏の説」については、五来重『熊野詣』第1章の中の「死者の国の烏」という節を参照のこと(p.35ff.)。
しかし熊野で神武天皇を導いたのが他ならぬ烏であったという話にはやはりこの土地固有の必然性がある。というのは、烏が熊野で霊鳥とされる所以は民俗学的に根深いものがあるからである。土地の人々が語るように八咫烏が神武を先導したから烏がこの地で尊ばれるのではなく、元来霊鳥だから神武を先導することができたと考えるのが正しいであろう。
(略)
五来重氏の説によれば、熊野には古墳が存在しない。すなわち、埋葬のかわりに風葬が行われたのである。ネパールの鳥葬が禿鷹によったように、熊野の風葬は烏がこれを執行した。ここから烏の神聖視が生じた、という。なぜかといえば、烏は風葬の遂行者であるのみならず、屍肉をついばむことで死者を体内に同化し、死者の魂を宿すことになるからだ。(pp.55-56)

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平安時代から、清水寺から西大谷の辺りの地域までの山側は鳥辺野(とりべの)と呼ばれる、化野、蓮台野と並ぶ京都三大葬地でした。(今熊野もそれにあたります)また、死者を木に吊るし、その肉を鳥に喰らわせる鳥葬地でした。このことから鳥部野という地名がついています。「鳥辺野、船岡(蓮台野)、さらぬ野山(化野)にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と徒然草で兼好法師が書いた通り、鳥部野から人を焼く煙がやむ事はありませんでした。
今は京都一の観光名所となっている清水寺もその鳥部野という埋葬地にあたる地で、清水寺はその死者を霊を供養する為にできた社だといいます。本殿が高い所にあるのは、死者の匂いがあまりにも強い為であったといわれています。
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉が有名ですが、死亡率、生還率などでておりますね。あれは、自殺を試みる者が自分は生きていてもよいのかを占うために飛び降りた事から始まったそうです。
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