http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140713/1405251534に対して、
nessko*1 2014/07/13 20:52>こういう文章
大正時代にもありそうですね……中森明菜と山口小夜子が互換的な存在として語られている、というのは、本文を読まないとどういうことなのか想像もつかないのですが、ひょっとして、中森明菜の「ディザイア」の時の衣装と髪型が、昔の山口小夜子の写真を思い出させるせいなのかなあ、と。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140713/1405251534#c1405252355
http://chamachama7.at.webry.info/201308/article_1.html
ですか?
さて、昭和歌謡という言葉がある。現在においては、例えば上の中森明菜も昭和歌謡の中に一括りされるのだろうか。だけど、以前からこの言葉には何だかぴんとこないところがあった。昭和天皇の治世は、前半は大日本帝国憲法体制、後半は日本国憲法体制と、60年以上続いたわけで、その長い時代を昭和の二字で一括してしまうのは乱暴だろうし、またどの時期にフォーカスするかによって、昭和歌謡はその都度違う音色を響かせるのではないか。
偶々、村松友視の「村松友視の私小説的昭和歌謡曲」(『コモ・レ・バ?』20、2014、pp.16-24)という文章を読んだ。1940年生まれの村松氏にとって、昭和歌謡とは、笠置シヅ子に始まり、水原弘、弘田三枝子、ちあきなおみ、黛ジュンと続く系譜のようである。尤も、氏は「この中に紅白歌合戦のトリをつとめるような、歌謡曲の王道中の王道たる大歌手がいない」、(自分は)「王道の外角ぎりぎりをかすめる、異端の魅力をはらむ歌手に反応して、刻々の時を生きていた」と言ってはいるのだが(p.24)。
ところで、昭和歌謡という言葉が生まれたのは何時頃なのか。平成が始まって暫く経ってからだということは確かなのだが、平成何年頃?