慎太郎の告白?

(どのような思惑があったのかは)ここでは敢えて問わないが、猪瀬直樹に引導を渡したのは石原慎太郎であったらしい*1
その石原慎太郎について、「石原慎太郎集英社に小説売り込むも拒絶される…徳洲会事件で検察が追及の可能性も」という記事あり*2。曰く、


(前略)季刊文芸誌「en-taxi」(扶桑社/11月号)には『東京五輪決定に思うこと』という石原へのインタビュー記事が掲載されている。そこで石原は、自身が五輪招致に失敗したことへの愚痴やIOCに対する不満を漏らしているのだが、いつものように話はどんどん脱線し、自身の小説に関する愚痴にまで言及し始めるのだ。

 同記事によると、石原は「久しぶりに『すばる』に小説を載せようと思って編集部に電話した」という。「すばる」は集英社発行の月刊文芸誌だが、石原が何度電話しても編集長は出てこない。それでも電話を続けた石原だったが、3度目でやっと編集長につながった。しかし--。

「女の編集長でね、『あなたの小説は一切載せません』」と拒絶されたというのだ。その理由を女性編集長は「あなたは差別主義者です。あなたの『三国人』という言葉は許せない」と言い放ったという。しかし石原は引き下がらなかった。2000年に問題となった石原の「三国人発言」は国会でも問題になったが、当時の法務大臣も問題ないとの見解を示したなどと反論したが、編集長は一歩も引かなかったという。

 そして意外にも石原は、この編集長に対し「これは勇気ある女だなと思ったね」と脱帽する様子まで見せているのだ。

 さらに石原は1957年に発表した小説『完全な遊戯』をめぐり、「群像」(講談社)編集長の大久保房男と口論になったことを持ち出し、「高見(順)さんの家でぶん殴ったんだ。あれも変なやろうだったな」「喧嘩して講談社の雑誌にも載らなくなってね」と古いエピソードを開陳するのだ。


 文藝編集者*3は、現在、文壇で石原が置かれている状況について、次のように明かす。

「いまや石原慎太郎の小説など売れませんし、出版社も相手にしたくない。ここ10年以上、石原の作品を掲載してくれるのは全集を出版している文藝春秋くらいだった。しかし石原が昨年芥川賞の選考委員を辞めたことで、文春でも影響力の低下は否めない。石原は文壇にとっては“終わった”過去の人なんです」

 切羽詰って電話した先が集英社だったというのも、石原の影響力の低下と老いを感じるものだ。

 というのも10年に石原都政が施行した東京都青少年健全育成条例改正*4に関し、当時の集英社専務が猛反発、「ぜひ石原慎太郎をぶっ飛ばすような漫画を」と漫画家たちを叱咤激励したこともあったのだ。また12年の第146回芥川賞を受賞し、石原を揶揄した田中慎弥は「すばる」出身。そんな過去に因縁のある集英社へ自ら“売り込み”を掛けざるを得なかった石原には、哀れささえ感じるのだ。

これを読んで「哀れささえ感じ」てしまった人も少なくないのではないかと思うのだが、実は石原のこの告白自体、彼のself-victimizationであり、事実とは異なるという指摘もある;

えーっと、私が耳にしたところでは、こんなやり取りは全くなく、ただ丁重にお断り申し上げただけだそうだ。

 理由は、ただただ単純に、彼の書くものの「出来が悪いから」

 粗悪品の押し売りを断ったのと同じだ。

 それをイデオロギーの問題にすり替えて語るのは、石原氏のプライドのなせる技なのだろう。彼のファンも喜ぶし。

 噂が広まる前に自分で先手を打っておけば、不名誉な顛末が巷間に伝わっても、イメージダウンを防ぐことができる、という計算も働いたのではないか。
http://osaan.hatenadiary.jp/entry/2013/12/19/145520

さてさて。